列王記第二 1章-2

聖書箇所&主な内容

列王記第二1章-2(9-18節)
❷五十人隊への火の裁き

ポイント聖句

13 王はまた、第三の五十人隊の長と、その部下五十人を遣わした。この三人目の五十人隊の長は上って行き、エリヤの前にひざまずき、懇願して言った。「神の人よ。どうか私のいのちと、このあなたのしもべ五十人のいのちとをお助けください。

黙想の記録

❷9-18節:五十人隊への火の裁き・・・この一連の事件(火をもって裁かれる)は、一度でも父アハブが目撃したカルメル山の事件を想起させるはずなのですが、アハズ王は三度もエリヤ捕縛部隊を派遣します。国王であっても主なる神の裁きを免れることはできず、生死を司るのは偶像ではなく真の神であることを直感したのは外ならぬ第三の50人部隊を率いる隊長その人でした。三つの50人部隊の部隊長のエリヤへの言葉掛けには明らかな差異があります。ERV訳を使って比較してみます。他の翻訳では微妙なニュアンスが明確ではありません。
第一部隊長:「おい。そこの神の男とやら。王がお呼びだ。ご同行願おう!」
第二部隊長:「そこの神の男とやらよ。今すぐご同行願おう!王がお呼びだ」
第三部隊長:「神の男である方よ、どうか、どうか私の命と彼らの命だけは取らないでください。 14最初に参った2人の隊長とその隊員たちには、天から炎が下ったとお聞きしました。どうか私たちには情けを!」
明らかに、第一第二部隊長は不遜な物言いです。第二部隊長に至っては、第一部隊の悲惨な最期から少しも悟っていないばかりか、更に横柄です。「王がお呼びだ」の付け加えには主なる神に対する畏敬の欠片さへありません。あたかも「王の権威の方がエホバ(主なる神)に勝る」様な言い草です。しかし第三部隊長は地面に跪きあたかもエリヤを礼拝するかのような姿勢をとるのです。軍人は王の前すら膝まづきません。これは神に対する礼拝の姿勢です。ここからうかがい知るのは、この隊長が前の二組の悲劇を知り心底エリヤの存在に脅威を感じていた証です。エリヤの背後にいるエホバ(主なる神)の底知れぬ力に怯え慄いているのです。エリヤは捕縛して罪人の様に取り扱っていいような人物ではないと悟ったのです。隊長は屈強の兵士の筈です。この場でアハズヤ王の命に逆らい命乞いをすることは、イスラエル軍の長として大いなる恥であり、そればかりか、王の命令に反するなら、本人は元より一族郎党まで処罰されかねないのです。しかし生ける神の怒りに触れることの方がその後もっと深刻な影響を受けると判断した故の決断であり命乞いだったのです。
ところで、アハズヤの計画はエリヤを捕縛しサマリヤで衆人の前で罰することでしたが、預言者が単独で現れたことを考えると、彼に対して送られた兵の数は過剰とは思えませんか。シナイ山への逃避行以降エリヤの動向は一切語られていません。推測ではカルメル山にある預言者学校の立て直しに尽力していたとのことです。ならば、そこにいる預言者学校の生徒たちの抵抗にあい、捕縛には難航するだろうとの懸念がこの人数だったのではないでしょうか。
ここでの主の使いが登場し「①彼といっしょに降りて行け。②彼を恐れてはならない(15)」エリヤに声をかけています。ここに出てくる「彼」についてですが、ヘブル語では①はエイス[前にいるもの]で②はペ二エル[顔]で、対象が異なることを示唆しています。②の彼はアハズヤ王のことです。またここで主の使いが使った「恐れてはならない」はヘブル語でヤレイ[恐れる、崇拝する、怖がる、尊敬する、畏敬の念を持つ]などの意味があります。つまり、主の使いがエリヤに念押ししたのは、以前カルメル山から降りてきてサマリヤにいるアハブ王に感じたような余分な感情(同情・共感・期待)を一切持つなということなのです。あるいは為政者だからといって媚びるようなことをするなともとれる言葉です。以前エリヤはカルメル山から降りていった時に、カルメル山の奇跡でアハブは悔い改め、北イスラエル王国は主なる神に立ち返ることができると言う淡い期待すら持っていたのです。この淡い期待を否定されたのかもしれません。
「主はこう仰せられる。『あなたが使者たちをエクロンの神、バアル・ゼブブに伺いを立てにやったのは、イスラエルにみことばを伺う神がいないためか。それゆえ、あなたは、上ったその寝台から降りることはない。あなたは必ず死ぬ。』(15節)」とはっきりと断言します。この言葉には同情も共感も期待も一切なくエリヤは主に託された言葉のみを伝えました。この緊張する場面であったにも拘わらず、預言者エリヤが何の罰設けずに去ることが許された経緯については何も語られていません。その後のエリヤの行方も記されていません。
アハズヤは亡くなりますが後継者がいなかったため、兄のヨラムが王位を継承します。「ユダの王ヨシャパテの子ヨラムの第二年」とわざわざ明記したのは、列王記の読者の混乱を避けるためです。

ルカ9:54との比較

この箇所はよくルカ9章に記述された事件との対比される個所です。ルカ9章の事件を簡単に振り返ってみます。イエス一行がエルサレムに向かう途中、サマリアを通ろうとしました。しかし、サマリア人はイエスたちが自分たちの礼拝所(ゲリジム山)ではなく、エルサレムを目指していることを知り、宿泊を拒みます。当時のユダヤ人とサマリア人の間には、宗教的・血統的な深い憎しみがありました。弟子たちは「自分たちの主が拒絶された」ことに対し、単なる怒り以上の「報復感情」を抱いたのです。「弟子のヤコブとヨハネが、これを見て言った。『主よ。私たちが天から火を呼び下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか。(ルカ9:24)』とあるヤコブとヨハネ激しい言葉は、Ⅱ列王記1:9~18節を念頭に置いています。彼らは自分たちがエリヤのような権威ある預言者の弟子であり、正しい裁きを行う権利があると考えた故に発露してしまったものだったのです。ルカ9章54節は、「人間の正義感や報復心」と「キリストの愛と忍耐」の対比を描いています。弟子たちはまだイエスの歩む「十字架の道(敵を赦す道)」を理解しておらず、旧来の「力による裁き」にとらわれていたことがわかります。しかしこの直後の55・56節で、イエスは彼らを「厳しく戒められた」と記されています。イエス様の使命は人を滅ぼすことではなく、救うことにあります。弟子たちは神の力を「敵を排除する武器」として使おうとしましたが、イエスはそれを否定しました。私たちが他者から拒絶されたとき、怒りをもって報復したい(火を降らせたい)という衝動に駆られることがありますが、イエス様はそのような「裁きの霊」ではなく、平和と寛容を求めておられるという教えです。

注目語句

語句①山の頂(9):英語the top of an hill.;ヘブル語ロッシュ・へール[頭(てっぺん)・丘(山)]・・・恐らくカルメル山
語句②神の人(9):英語man of God;ヘブル語イッシュ[人]・エロヒム[神]
語句③天からの火(10):英語fire from heaven;ヘブル語エイシュ[火]・ミン[から]・シャマリアン[天・空]
語句④50人隊長(9,10,11,12,13,14):英語a captain of fifty;ヘブル語セル・ハモシン[大将(司令官)・50]・・・イスラエル軍は数千人、数百人、五十人にわたり組織され、それぞれに「隊長」がいた(Ⅰサムエル8:12)。日本の陸上自衛隊は小隊で50名。
語句⑥遣わした(9,11,13):英語sent;ヘブル語シャラッフ[派遣する]
語句⑦ひざまずき(13):英語fell on his knees;ヘブル語カラェー・エァル・べレフ[しゃがむ・地面の上に・膝]

注目人物

人名①ヨラム(17):英語Jehoram;ヘブル語ヨホラム[エホバ・高貴な]・・・アハブとイゼベルの息子であり、イスラエルの王位にある弟アハズヤの後継者である。 紀元前896年-884年(Ⅱ列王記1:17;3:1)、彼は12年間統治した。 彼の最初の仕事は、兄の治世で独立を主張していたモアブ人を服従させることだった。 ユダの王ヨシャファトは、この努力においてヨラムを助けた。 彼はさらに同盟国のエドム王に助けられた。 エリシャは連合軍と共に進軍し(Ⅱ列王記3:1-19)、ヨシャファテの勧誘によって、主の迅速な勝利を保証して軍を激励した。 彼らの王メシャの下のモアブ人は完全に滅ぼされ、彼らの町々は滅ぼされた。 キルハラスでメシャは最終的な立場をとった。 イスラエルの人々はこれ以上勝利を迫ることを控え、自分たちの国に戻った。

注目地名
注目聖句
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次