列王記第一19章-3(8節)
❷40日40夜の意味
8,彼は起きて食べ、そして飲んだ。そしてこの食べ物に力を得て、四十日四十夜歩いて、神の山ホレブに着いた。
❸8節:40日40夜の意味・・・パラン砂漠を出立(しゅったつ)できたのは良いのですが、この時点で「旅の目的地と旅の目的」を告げられたという記載は一切ありません。エリヤにとって「ケリテ川」でも「ツアレファテ」での目的を知らされていない長い待機期間は確かにありました。が、今、イゼベルに命を受けた兵たちに追跡されている危機感を払拭できないのです。荒野に入ってたった一日で音を上げたエリヤです。目的地を告げられず何の保証もないまま40日間を荒野で彷徨うことなど果たしてエリヤにできるでしょうか。出立にあたり「ホレブ山に登りなさい」という主の言葉があったのではないでしょうか?ホレブ山とシナイ山は同一です。申命記9章には、モーセもシナイ山に上り主の指図を仰ぐために40日40夜待機したと記録されています。さらにモーセを待ちきれない民が偶像礼拝を始めてしまった時にはホレブ山のふもとで40日40夜、民を滅ぼさないようにと嘆願しているのです。ホレブ山に向かうことで、エリヤは否が応でもこの古の出来事を思い出さざるを得ないのです。「預言者」とは「何かの宣言を行う」ことや「誰かを断罪する」だけの任務ではなく、モーセがそうであったように「民を主なる神のもとに導く」いうなれば「牧者」の役目があることをエリヤに諭すためにこのプロセスがあったとは言えないでしょうか。ところで御使いに出会ったパラン砂漠の北端から神の山ホレブまで、直線距離にして約220km。神の山ホレブは標高2,285メートルと高山で登山ということになります。それでも1日平均10kmとして約20日もあれば到着できる距離です。(3,4日程度で到着できるとの説もあります。と、するとこの「40日間は旅そのものに費やされたものではない」との推測もできるのです。つまり、この40日40夜は「孤独と向き合う時間」もっと積極的な言い方で表現するなら「黙想と祈り、そして心の葛藤」に費やされた可能性があるのです。「黙想と祈り、そして心の葛藤の時間=主なる神との交流の時間」はあまりにも非生産的であるとして、私たち現代の基督者がどうしても省略したいという誘惑に駆られる「時間」でもあります。カルメル山での性急な祈り(祈りを中断し七回も供の者に尋ねたこと)は確信を持てるまで祈り続けなかったことの証です。さらに主に求めることなくアハブの都への帰還に同行したのは「主なる神に導きを求める」ことなどなかったことの証です。「絶えず祈りなさい(Ⅰテサロニケ5:17)」とは継続した祈りの必要性を説いたパウロの言葉です。この継続した祈りによって、祈りの内容が研ぎ澄まされていくのです。つまり神様への願い(訴求内容)が明確なっていくのです。また祈りを通して「心の葛藤」をする必要があります。この「心の葛藤」には、過去の恥ずべき自分の行動を猛省することも含まれています。私たちの行動は時としてエリヤの様に性急で猪突猛進なことがあるからです。次に取ろうとする行動が果たして「主の御心から出ていることなのか」、「本当に主の導きなのか」と問う必要があります。つまり「心の葛藤」とは「御心と独断」を見分けるために必要な時間なのです。
語句①四十日四十夜(8):英語forty days and forty nights;ヘブル語エルバー・ヨーマ・エルバー・ライェール[40の昼・40の夜]
地名①神の山ホレブ(7):英語Horeb,;ヘブル語ホレイブ[砂漠]・・・シナイ山の別名。ユダヤ人が出で、北東端にはエルラハと呼ばれる非常に広い平野があり、イスラエル人がほぼ1年間キャンプをしていた。



