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人生のB面

2024年7月6日

SHC通信2023/10/30
若葉マークのキリスト教
お元気ですか。SHLのKernelTenderです。
今回のお話のタイトルは「人生のB面」です。

①レコードは一世代前の音楽媒体ですね。ポリ塩化ビニール製の円盤に外から内側へと螺旋状の細い溝を刻み、その溝にレコード針を置いて溝の情報を読み込みプレーヤーで再生するものです、今ではなかなか現物を目にすることが少なくなりましたね。この円盤の両面に様々なジャンルの音楽を録音する訳ですが、販売元が特に売り込みたい曲をA面にその付属曲をB面にするのが常識とされています。ところが実際に販売してみるとB面の方がヒットしてしまうことが多いものです。日本では台湾出身のオーヤン・フィーフィーが出したレコードがまさにその典型例です。彼女の曲「Love is over」は大ヒット曲で日本レコード大賞を受賞したほか外国人で初めて紅白歌合戦(NHK)で歌ったのもこの曲でした。ところがこの曲はリリースされた楽曲のB面曲だったのです。B面と言うことは、レコーディングの際はそんなに期待されていない楽曲だったとも考えられますね。しかしこのB面の方が確かに人々の心の琴線に触れたといえるのです。さらに心の共鳴がその曲を聞いた人々に慰めや励ましをあるいは生きる活力を与えたとは言えないでしょうか。
②さて、地球上の動物たちは野生という一面しかありませんね。ところが人間という生き物は誰でもA面とB面の両面をもっている生き物とは言えないでしょうか。「人に見せなければならないA面」と「他人には見せたことがないB面」のことです。あえて数値化すると職場や学校で見せている自分をA面とすると、その時間は9時間程度。すると残りは15時間のB面ということになります。よく考えてみると、あなた自身が向き合っている時間の長さで言えば、圧倒的にB面の方が長いと言えますね。そんな意味で言えば私たちの人生に大きな影響を及ぼしてるのは人生のB面、つまり誰にも見られていない隠れている自分と言えるでしょう。実はこの人生のB面こそがA面にも影響を及ぼす人間らしさを作り出す側面であることをお気づきでしたか。自分の心を豊かにし、さらには他の人々に幸せを配ることができる基になるのがこの人生のB面と言えるのです。しかしこの世界では人生のA面をクローズアップする人々が殊更に多いのです。その為人生のB面を造り出せないままA面に押しつぶされる方々がなんと多いことでしょう。
③さて私は中学時代の同窓会(65歳)に参加しました。卒業当時は1学年8クラス約290名のマンモス校でした。なので、30歳代の同窓会のときは200名近い参加者がいたのに、今回は約80名。何でも3年前は120名とのことでした。同窓会リストを頂き1組から8組の同窓生の消息を目で追っていきました。住所不明が20名、逝去された方が20名もいました。40~50代で突然亡くなられる方が多かったと聞きびっくりしました。なかでも以下の2人の訃報はとても心を痛めるものでした。
④Nさんは保育園時代からずっと近所で一緒に育った魚屋の娘です。その魚屋はたいそう繁盛していました。東京の美大を出て、地元に戻りしばらく創作活動をするのですが振るいません。就職活動の末公立高校の美術講師となります。ところがその高校の生徒は美術に関心がない生徒ばかりで、彼女の時間になると大半が教室から抜け出してしまうのだそうです。このことが原因で心が折れてしまい休職。そして退職してしまいます。その後自宅近くで絵画教室を細々としていましたが、物心両面の支えであったご両親も他界され、その後は気力なく過ごしていたそうです。ある時過剰投与すると死に至る薬をわざと摂取し自ら命を落としてしまいました。このため少ない身内だけの家族葬になり、同窓生はほぼ呼ばれませんでした。彼女が理想としていたのは自分の芸術技能の高さが他者から評価されることでした。しかしその評価は大都会東京での大学生時代だけでした。彼女にとって自分の非凡な才能というA面だけが原動力であったと言えないでしょうか。しかし才能は他者の評価に過ぎないと言えないでしょうか。
⑤O君は同じ部活で汗を流した仲のいい男子でした。また家も近かったのでよく遊びました。彼はとても家族思いの人間でした。家族がワンランク上の豊かな生活を送れるためにサラリーマンをやめて自営業を始めました。開業当時はかなりの収益を上げとても羽振りのいい生活ができていたようです。ところが50代になると同業者に仕事を奪われ営業成績は下降の一途をたどっていきます。気を紛らわすためにアルコールに深入りし、アルコール依存症から脱却できず精神的にも肉体的にも急激な変調に襲われていきました。とうとう歩行ができなくなってしまいます。ところがそれでも毎夜車椅子で街の飲み屋を徘徊する光景が見受けられたそうです。最後は様々な病魔に一気に襲われ2019年1月に亡くなりました。1月中旬密かな家族葬を執り行ったとのこと。私をはじめ同窓生も誰にも声がかけられませんでした。彼にとって家族を幸せにすることが唯一の生きがいでした。ところが、現代社会が演出するA面つまり薄っぺらで壊れやすい幸福に目を向け過ぎていたとは言えないでしょうか。
⑥人生のA面は人間が創り出してきた幸福感を基準としています。他人からの評価がそのバロメーターです。その為他者からの評価が薄くなったり無くなったりすることが人生の挫折となります。またこの幸福感には満足の到達点がなく次の新しい幸福感を追求する為の苦労が尽きることがありません。またこうした幸福感は自分の幸福が関心の中心ですから他者の幸福には無関心でいるかあるいは嫉妬心がいつでも存在しているのです。果たしてこれを幸福と言えるのでしょうか。人間が幸福を求めること決して悪いことではありません。しかし人間が創り出した物に基準を置く人生はまさに的外れの幸福なのです。聖書はその的外れな生き方を「罪」と呼んでいるのです。
私は2018年8月に突然心筋梗塞が発症した翌日に緊急手術。開胸し冠動脈バイパス手術を受けることになりました。その後 71 日間の入院を余儀なくされ、35年間経営していた学習塾(最大生徒数450名)を廃業。このため家のローンや塾での多額の借金が残り、この債務返済のため家の売却・自己破産。収益が無いため、考えられる最善の方法は生活保護の受給を受けることでした。高台から一気に千尋の谷に突き落とされた状態になりました。この無様な経験は全ては杜撰な塾経営と誠実な生き方よりプライドを重視する悪癖の結果と自覚しています。しかし同時にこれらの全ての経験は神様の配慮であり私自身に人生のB面つまり神の形が形造られるための通過点であったことを悟ったのです。
第一に些細なことでも幸福と感じられること、第二にどんな境遇の中にも幸福を見つけられること、第三に他者の幸福を願う心がいつでもあること。それをクリスチャンは神の国(幸福な人生)と意義付けています。つまり、それこそが人生のB面なのです。それはイエスキリストの生涯に倣うことでもあるのです。イエスキリストは敢えて人生のA面を放棄され、見栄えがしないどころか見捨てられた人々を見つけ出し、彼らに神の救いを与えるために来られた方なのです。私の人生に必要なのは状況が変えられる奇跡ではありません。イエスキリストの救済の力によって私達の魂が一新する事なのです。
⑨さらに付け加えることがあります。それは人生のA面での挫折は決して無駄な物ではありません。また自分で失敗だらけの自分の人生を否定する必要もありません。なぜでしょう。それは万事を益と変えてくださるのが神様の役目なのですから。

聖書から抜粋
イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに言います。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」
ヨハネの福音書 3章3節