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海行ってきたね

2024年7月6日

SHC通信2024/07/30
若葉マークのキリスト教
お元気ですか。SHLのKernelTenderです。
今回のお話のタイトルは「海行ってきたね」です。

●私達の息子は現在38歳で重度心身障害です。現在も同居中ですが、昼間はデイケア―サービスを利用しています。支援学校の小学部から高等部に在籍している間、年に一度は家から100km以上も離れた海水浴場にでかけていました。アルバムを見ると息子は小学部まで海に一緒に入っているのですが、中学部後半から、海に行っても自動車の中で終日過ごすようになっていました。
●息子が高等部1年のとき、オープンしたばかりの水族館に行ったことがあります。そのときの経験は忘れることができません。息子の左下肢には麻痺があるので、歩くのが辛いと思い、前日水族館に電話連絡し車椅子を用意してもらったり、事務局専用駐車場の使用許可を頂きました。予定通り息子は、車椅子に乗ってくれました。ところが車椅子に乗った息子は最上階まで一緒に上ってくれましたが、徐々にパニックになり最上階でエレベーターを出た途端、車椅子から飛び出し階段をつたわってすぐ下の階へ向かって走り始めたのです。あわてて私たちは息子を追いかけ手をつかまえエレベーターに押し込もうとしたのですが中に入ろうとしません。息子はその場で足を投げ出して座り込んでしまいました。ところが30分後エレベーターしか降りる手段がないと理解できたのでしょう。さっさと立ち上がって自分から乗り込み、ようやく1階エントランスにたどり着きました。
●ところが、今度は水族館のエントランスから外に出ようとしません。そればかりか人々でごった返す中央入り口で寝転んでしまったのです。家内は手を強く引っ張られ鉄柵に頭から激突。大きなたんこぶを作ってしまいました。息子はその当時、身長170cm体重70kg。私は、パニックに陥っている息子を何度か渾身の力を振り絞って抱きかかえてあげようとしたのですが、到底無理。腕がしびれてしまいました。しかたなく私たちもその場で座りながら時を過ごしました。その一部始終を大勢の来客者がじろじろ見て通り過ぎていきました。如実に迷惑そうな顔をする人もいました。しかめっ面をされたりもしました。残念ながら手を貸そうとする方はいませんでした。情けない気持ちに駆られながら過ごしていましたが、ちょうど30分経過した頃、急に立ち上がり、事務局の方々の誘導で、控え室までたどり着き、ジュースを頂きクールダウン。ようやく車までたどり着きましたが、私たち夫婦は汗びっしょりでくたくたになっていました。
●水族館を後にしビーチへ向かいました。これまた前日、身障者ための更衣室の使用許可を頂いていたのですが、30度を越える車内から一歩も外に出ようとしません。しかたなく駐車場で、窓を全開にしながら、浜風に吹かれながら、持参したランチをとりました。韓国から来た姪を連れ、娘は水着に着替えて海に入りました。私たち夫婦は炎天下の駐車場に残り息子の面倒を見ていました。真っ赤になった顔に水鉄砲で水をかけてあげたり、冷水につけたタオルで身体を拭いてあげたりしました。娘たちが海から帰ってくるまでの約1時間。息子はラジカセで童謡や賛美歌や流行歌を聞きながら外の光景を眺めたり、絵本を見ているだけでした。
●自閉症の息子にとって、静止している画面に慣れるために数日から数週間かかります。ところが旅行は次から次へと変化する新しい場面や音に遭遇しなければなりません。このため旅行は彼の「処理能力を超えてしまう」のです。つまり、どんなに興味深い場所であっても息子はそれを不快・不安に感じていたのです。
●「お盆のまっただ中の旅行」を後悔しながら、これまた渋滞する幹線道路を走っていますと、突然息子がこんなセリフを言ったのです。「海いってきたね。くじらみたね。さめやっつけよう」。無論くじらもさめも見てはいません。「旅行楽しかったね」と言いたかったのでしょうね。7時間もかかった帰宅の途で、みんなうんざりしていたのですが、この一言が車内を盛り上げてくれたのは言うまでもありません。
●私たちは息子に新しい体験新しい刺激を与え、彼の生活を楽しませる演出を心がけているつもりです。でも彼のペースを忘れ、「良い親をしているなあ」などと、自分の演出にだけ酔っていることがあります。それがかえって息子には不快で不安なのです。私たちは息子の生活テンポで歩くことを忘れていたのです。
●私たちの親子関係もあるいは対人関係もこれらと似ていることはないでしょうか?相手のペースを考えない、独りよがりの行動が、相手に不快感を与えていたり不安を感じさせていたり、さらには不信感を募らせる原因ともなっていることに気づかない場合さへあるのではないでしょうか?しかも、良かれと思ったこと善意から始めたことでも、トラブルが起きると相手に責任転嫁しているときがあるのです。これもまた「自己中心」というカテゴリーに入るでしょう。
●イエス様は私たちの生涯を一緒に歩んで下さっています。しかも、全知全能の神様のスピードではなく、歩いた後にはっきりと分かる、汚れや穢れの筋をつけて歩くカタツムリのようなスローペースでも、また1日中食べるためにだけ動き回っている、せわしないねずみのようなスピードにさえも、合わせていてくださっているのです。そればかりか、イエス様はそのペースに不快感をもっていません。なぜでしょう?それは瞬時でもあなたとともに歩いていたいからなのです。さらに傍観者である他人の嘲笑や罵倒の言葉をあなたと一緒に浴びる現場でもいつもあなたと一緒にその時を過ごしてくださるのです。イエス様はあなたが自分の人生という「自分のペース」の異常さや傲慢さに気づくまで、ご自分のペースを押し付けるようなことはなさいません。しかし、イエス様が残してくれた足跡に従おうと決心なさるとき、この方のペースこそ、平安と喜びのともなう人生の歩み方であることを体験されるでしょう。
●あなたはイエス様が今もあなたの隣にいてくださることを意識できますか?あなたもイエス様と一緒にあなたの人生を歩んでみませんか?

聖書から抜粋
主よあなたは私を探り知っておられます。あなたは私の座るのも立つのも知っておられ遠くから私の思いを読み取られます。あなたは私が歩くのも伏すのも見守り私の道のすべてを知り抜いておられます。"
詩篇 139篇1~3節