テトスへ手紙 3章
テトスへの手紙 3章
=本章の内容=
❶基督者の救いの意味❷聖霊による確証③分派を起す者④最後の挨拶
=ポイント聖句=しかし、私たちの救い主なる神のいつくしみと人への愛とが現われたとき、神は、私たちが行なった義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。神は、この聖霊を、私たちの救い主なるイエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのです。それは、私たちがキリストの恵みによって義と認められ、永遠のいのちの望みによって、相続人となるためです。(3:4~7)
=黙想の記録=●肉の性質はいつも誰かの上に君臨したい。誰かの奴隷ではなく支配するものでありたいとの欲求を持っています。粗暴なクレネ人だけではなく宣教活動を続けているテトス本人もまた、この世の支配者の奴隷でした。しかし、イエスキリストの十字架を通して示された神の慈しみと憐れみにより、また。そして聖霊の「新生と更新」によって、暗闇の中で藻掻くばかりの生活から一新されたのです。この世の支配に置かれていた時には、神様の願う生活やこの人生の目標は皆目見当がつきません。しかし、イエス様がこの地上から去っても「約束された助け主=聖霊」が、こんな見苦しい肉体にも共に住んでくださり、共に歩んでくださる生活は、とっても画期的な事で、この世では絶対見つけることができません。
●私たち基督者にとって「御子の支配」とは「イエスキリストの庇護下にある」ことを示しており、イエス様がこの世の君の様な支配者ということではありません。聖霊もまた「もうひとりの助け主」であって支配者ではありません。「御霊に満たされる」とは「御霊に支配される」ことを意味していません。「御霊の性質に預かり御霊の実を結ぶ」ことが本意です。そして御霊は徹底的に基督者がイエス様に倣う者になることを願って様々な試練と訓練を賜るのです。ある人にとっては宣教活動や福祉活動や社会貢献であり、またある人にとっては病気との戦いであり、ある人にとっては家族を愛する故の心の葛藤などにより、御霊の実が育つのです。「聖霊が支配者」であるなら、あなたにも「支配者欲求」が生まれてしまうことになるのです。
●さらに聖霊は、救いの証印として我々一人一人に与えられ、その結果、永遠のいのちと神の子としての相続権が得られたのです。新生した基督者に如何なることが起ころうとも、これは途中解約や契約破棄には絶対なりません。