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ローマ人への手紙15章

ローマ人への手紙 15章
=本章の内容=

❶教会の中での基督者の相互関係❷キリスト者の異邦人への使命➌地方教会の相互関係

=ポイント聖句=

私の兄弟たちよ。あなたがた自身が善意にあふれ、すべての知恵に満たされ、また互いに訓戒し合うことができることを、この私は確信しています。(15:14)
兄弟たち。私たちの主イエス・キリストによって、また、御霊の愛によって切にお願いします。私のために、私とともに力を尽くして神に祈ってください。(15:30)

=黙想の記録=

●本章でもパウロは基督者の様々なシチュエーションでの身の処し方を語っています。本章では「相互関係」の基本として、「心を一つにすること」「互いに受け入れあうこと」を勧めています。「心を一つにする」ことのなんと難しいことでしょう。基督者と言えども大なり小なりプライドがあります。良きプライドもあれば、悪しき習慣としてのプライドもあります。
●レビ記には数々の捧げものの規定がありました。その中でも「穀物の捧げ物」は「上等の小麦粉」を使い、この小麦は唯一畑からの産物です。動物と異なり、地からの産物は天候に左右されるため、かなりの気配りと労力が必要です。さらに捧げものにするには、より良い小麦を選び抜き、さらに、選び抜いた小麦の殻を丁寧にとり、さらに原型が見えないほど細かく磨り潰さなければ、上等の小麦はできません。ユダヤ人はこの上等の小麦を普段から用意していたことが創世記18章で、アブラハムはサラに「早く、三セアの上等の小麦粉をこねて、パン 菓子を作っておくれ」との言葉から容易に想像できます。つまり上等の小麦は偶発的にできるものではなく、畑を耕す者の不断の努力によるものであることが分かります。さらに「選別され・純化された物」だけが使われるのです。人の持つプライドは、この場合、努力のみられない劣悪で荒々しい小麦粉なのです。様々な試練を通過することなしには主なる神様の選びはありませんし、プライドを原型が見えなくなるほど磨り潰されなければ、神様への捧げもの(礼拝・奉仕)にはならないのです。
●基督者においては、劣悪な小麦粉つまりプライドを持ち続けては、相互関係の構築はありえないのです。すべてが均一で荒々しいものを残さないためには胸襟を開いて「互いに訓戒しあう」ことをする必要があるのです。他者を見下すような姿勢、自分を優位に保とうとする姿勢では、決して「心を一つにする」ことは望めないのです。