ローマ人への手紙10章

ローマ人への手紙 10章
=本章の内容=
❶すでに準備されている救いの存在❷宣べ伝える人の存在
=ポイント聖句=しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。 遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。・・・(10:14・15)
=黙想の記録=●パウロは旧約聖書を駆使し「救いは人の努力によって獲得できる物ではなく、信じる心さへあればそれで十分であることを畳伏せる様に説明しています。
●ユダヤ人は幼児期から徹底的にモーセ五書を諳んじる教育を受けるので、青年期には、み言葉が口について出てくるほど身近なものです。ここで「・・・だれが天に上るだろう・・・地の奥底に下るだろうか、」の聖句は申命記30:12~14の引用です。ここで、モーセは主の命令と教えは、苦労を重ねて自ら見つけ出すような遠い存在ではなく、幼い時からすでに習得しているほど身近な存在である。同様に主の救いはキリストによって成就しているので自らの努力によって得る物ではないと説明している訳です。救いは単純明快です。
●ところで「神の福音」は上記の聖句にあるように最終的には「宣べ伝える人」の存在が不可欠なのです。ところがそこにもう一つの必須条件があるのです。それは「遣わされなくては」なのです。「遣わされる」とは「何かになる」「何かを実行する」ことを意味していません。主が指示を与え、必要とするところに、託されたものをもって、出かけることです。何も用意できずに即座の場合もあるでしょう。遣わされるまでに相当の年月を費やすこともあるでしょう。また期限・期間は私が決めることでもないのです。さらに、あなたが好んでいる人や場所でもないのです。あなたにとって「苦手な」人間、「不従順で反抗する」人間にだって遣わされこともあるのです。
●あなたの願うところを達成する為ではありません。主の御心はとおりに実行するとき、遣わされたと初めて言えるのではないでしょうか。