詩篇第一巻 第38篇
詩篇第一巻
=本章の内容=
人口調査という大罪を犯したダビデの悔い改め
=ポイント聖句=21,主よ私を見捨てないでください。わが神よ私から遠く離れないでください。
22,急いで私を助けてください。主よ私の救いよ。
「5,私の傷は悪臭を放って腐り果てました。」「7,私の腰は火傷でおおい尽くされ私の肉にはどこにも完全なところがありません。」「11,愛する者や私の友も私の病を避けて立ち近親の者でさえ遠く離れて立っています。」とあるところから皮膚疾患(?)に苛まされている状況と思われる。
祈りの内容1,主よあなたの激しい怒りで私を責めないでください。あなたの大いなる憤りで私を懲らしめないでください。
21,主よ私を見捨てないでください。わが神よ私から遠く離れないでください。
22,急いで私を助けてください。主よ私の救いよ。
●「1,主よあなたの激しい怒りで私を責めないでください。あなたの大いなる憤りで私を懲らしめないでください。2,あなたの矢が私に突き刺さり御手が私に激しく下りました。」とあることから作者は癒しがたい肉体の病気の原因が己が犯した罪に対する主なる神様からの懲らしめであると考えている。さらに「18,私は自分の咎を言い表します。自分の罪で不安なのです。」とあるが、これではまるで「因果応報」という古き人の考え方ではないか。ヨハネ9:2-3でイエス様は因果応報の考え方をきっぱりと否定しているではないか。
●ところが、ダビデが重い病で苦しんだのは、サムエル記第二24章の人口調査をした結果主なる神様からの裁きを受けた時のことではないかと推測される。とすると、「1,主よあなたの激しい怒りで私を責めないでください。あなたの大いなる憤りで私を懲らしめないでください。」の叫びの原因がこのダビデの大罪にあると理解できる。そこでなぜ「人口調査」が大罪だったのかを考えてみよう。
●以下の二か所の聖句にはこの人口調査はサタンによるダビデへの誘惑だったと記されている。
さて、再び主の怒りが、イスラエルに向かって燃え上がった。主は「さあ、イスラエルとユダの人口を数えよ。」と言って、ダビデを動かして彼らに向かわせた。・・・Ⅱサムエル24:1節
『ここに、サタンがイスラエルに逆らって立ち、ダビデを誘い込んで、イスラエルの人口を数えさせた。(Ⅰ歴代誌21:1)
●人口調査がなぜ神様の逆鱗に触れたのだろう。また「ダビデを動かして彼らに向かわせた」とあるように、ここではあたかも神様がそそのかしたような書き方をしている。だが、これは明らかにダビデの意思だ。そもそも「人口調査」がなぜ主の怒りをかうのだろうか?ダビデによる「人口調査」の目的は次の三点の状況把握である。
第一に人民からどのくらいの税を吸い上げることができるか。
第二は人民からどのくらい徴兵できるか。
第三に各部族の勢力はどうなっているか。
●絶対王政以前の古代イスラエルでは納税と兵役は義務ではあったが、あくまでも「主なる神様への積極的献身」の個人意志に委ねられていた。ところがダビデはこれを他国同様、「国王への忠誠心の強制」に置き換えようとしたのだ。こうした行為は専制君主制の体制維持には不可欠である。しかし、これは「悪魔がこの世を支配する目的と手段」そのもの。つまり、「主なる神様がいつくしむ民イスラエル」を保護するための代理者ダビデではなく、ダビデ自身が民の支配者として君臨するためだった。この誘惑は荒野でのイエス様に対する「最後の誘惑(マタイ4:8)」と同じものだ。彼の前に叩頭(ぬかず)かせ、意のままに利用する、謂わば「国民の総奴隷化」であり「ダビデの神格化」に他ならない。ダビデは悪魔に完敗してしまった。「国民の総奴隷化・ダビデの神格化」に必要なのは「民のことを神の様に知り尽くす多くの情報」だ。民は「情報を知り尽くす王」に恐怖を感じる様になってくるのだ。
●忠臣ヨアブの進言(歴代誌第一21:3)にあるようにこれは主なる神様への反逆行為という罪になる。ヨアブの進言も聞き入れない行為は、後にヨアブとダビデの絆を完全に断ち切ってしまった。そればかりかその愛する友というべき忠臣を失う結果となったのだ。イスラエルは他国に根絶やしにされるという結果をもたらしたのは、イスラエルが他国同様「専制君主制」を選び取ったからにほかならない。
●上記のことを踏まえて詩篇38篇を読み返すとだいぶ合点がいくのではないだろうか。つまりこの詩編38篇は人口調査を行った結果神様の逆鱗に触れたことを知り、罪の深さに驚愕するだけでなく、負いきれない悔恨の思いを吐露したものといえる。晩年になり円熟した信仰者となるべきだったダビデすらこんな愚行をしてしまう。いわんやいつまでたっても幼児の信仰しか持ち合わさない私達は当たり前の様にこのような愚行を犯してしまうだろう。「21,主よ私を見捨てないでください。わが神よ私から遠く離れないでください。22,急いで私を助けてください。主よ私の救いよ。」でいう救いとは「身体の苦しみからの解放」ではなく「主なる神様の赦し」の確信のことである。