詩篇第一巻 第35篇
詩篇第一巻 第35篇
=本章の内容=
内なる人の声を利用する悪魔に打ち勝て
=ポイント聖句=26,私のわざわいを楽しむ者たちがみな恥を見辱めを受けますように。私に向かって高ぶる者が恥と恥辱を身にまといますように。
27,私の義を喜びとする者たちが喜びの声をあげ楽しむようにしてください。彼らがいつもこう言うようにしてください。「主は大いなるかな。ご自分のしもべの平和を喜ばれる方は」と。
「王」という言葉が使われていないところからサウルに追撃されてるダビデの窮地を謳ったものと思われる。「彼らは悪をもって善に報い私のたましいは見捨てられています。(12)」とあるところからこのサウルの追撃はダビデ自身に非が無くサウル側のダビデが次期国王として油注がれたことに対する嫉妬心が起因していると思っているようだ。
祈りの内容1~28節全部に救出を求めるダビデの懇願が描かれている。
祈りの確信 =黙想の記録=●この35篇全体を見ても身体的な攻撃は見られない。その代わりに中傷や非難という精神的な攻撃が数多くみられる。列記してみる。・11,悪意のある証人どもが立ち私が知らないことを私に問います・・・ダビデの言動をことごとく揶揄する
・13,しかし私は彼らが病のとき粗布をまといました。・・・「粗布をまとう」とは喪服を着こむこと。これ見よがしにダビデを追い込んでいる。
・15,それなのに私がつまずくと彼らは喜んで集まり私の知らない攻撃者が私に向かって集まり休みなく私を中傷しました。・・・中傷は人を変え次から次へと沸き起こりダビデに休息を与えなかった。
・16,嘲りののしる者たちは私の周りで私に向かって歯をむき出しました。・・・陰ではなく公衆の面前でダビデを貶める言葉を浴びせかけている
・21,彼らは私に向かって大きく口を開け「あははこの目で見たぞ」と言います。・・・ダビデに聞こえる様にあざけ笑っている。
●現代日本の基督者がダビデと同様な経験をしているかと言えば恐らく否であろう。しかし、外部の人間からではなく内なる人の声は聞こえてくるのではないだろうか。つまり臆病にさせる古き人の批判非難の声のことである。悪魔は絶えず内なる人の声を利用し私達に容赦なく襲い掛かってくるのだ。こうして私達は委縮しやる気を無くしていく。
●これらの非難者をどのようにしてほしいとダビデは願ったのだろうか。4,5,6,8,19,26節にその内容が描かれているが「剣や弓矢」で刺殺され射貫かれるようにとの武器による攻撃的な言葉はない。また自力で反撃できるようにとは祈っていない。「主の使い」に非難者の処遇を任せている。(5・6)つまり主なる神様に結果を委ねているのだ。
●こうした内なる人への対処となる聖句が27節といえるだろう。「恥を見辱めを受けますように」の言葉は「内なる人を利用する卑劣な悪魔よ。恥を知れ。私は主の手に守られている」の言葉を投げ返すことができるからだ。冒頭の聖句「1,主よ私と争う者と争い私と戦う者と戦ってください。2,盾と大盾を手に取って私を助けに来てください。3,槍を抜き私に追い迫る者たちを封じてください。私のたましいに言ってください。「わたしがあなたの救いだ」と。はまさに主なる神様が戦いの矢面に立っておられることを表したもの。「大盾」が意味するものは私達の人生そのものを覆ってくださる神様の完全な救いのこと、また「盾」は日々に困難の矢面に立ち悪魔に打ち向ってくださる神様の御様子を表したもの。
●渦中にある時は心はどうしても内向きになってしまうもの。だが、内なる声を利用する悪魔への勝利は確実である。そう確信する時「28,私の舌は告げ知らせます。あなたの義を。日夜あなたの誉れを。」と神様を賛美することができるようになる。
語句①盾(2):英語shield, bucklerヘブル語マゲイン[携帯する丸い盾] 語句②大盾(2):英語ヘブル語センナー[全身を保護する大きな盾] 語句③あはは(21,25):英語Ahヘブル語ヘアー[嘲笑と侮辱を表現する間投詞]