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詩篇第一巻 第34篇

詩篇第一巻 第34篇
=本章の内容=

❶反面教師となったダビデ❷十字架刑の預言

=ポイント聖句=

9,主を恐れよ。主の聖徒たちよ。主を恐れる者には乏しいことがないからだ。
20,主は彼の骨をことごとく守りその一つさえ折られることはない。

置かれた状況

「ダビデによる。ダビデがアビメレクの前で、頭がおかしくなったかのようにふるまい、彼に追われて去ったときに。(欄外)」の事件はⅠサムエル21:13~16のガトの王アキシュ(アビメレクはペリシテ人の王の称号)の前でのことである。34篇はその危機から救われたことを詩にしたものだ。

祈りの内容

34編には神様への願いなどの言葉は見当たらない

祈りの確信

「私が主を求めると主は答えすべての恐怖から私を救い出してくださった。(4)」
以降は全て主が救い出して下さったことへの確信が描かれている

=黙想の記録=

●敵の敵は味方。命を付け狙うサウル王の敵はペリシテ人でもあった。そこで一計を案じ、ダビデはペリシテ人アキシュに頼ろうとした。だが、ダビデの武勲は知れ渡っている。アキシュの家来の進言にダビデは気が触れた風を装って難を避けようとした。そこには勇敢にもゴリアテの前に出ていったプライドはその欠片もない。
●「主を恐れる者」という語句が3回も使われているが、アキシュの前での振る舞いは「主を恐れる」のではなく明らかに「人を恐れる」所業である。ここには主に対する信頼がない。そもそも、アキシュの前に出ることに関して主なる神様に伺いを立てたのだろうか。歴史書にはその痕跡が描かれていない。「主に身を避ける人(8)」とあるがこの事件にはその信仰が見当たらないのだ。冒頭でわざわざ人生の汚点をあげつらいながらだとするとこの34篇は何を目的に描かれたのだろう。
●この詩編34篇は反面教師としての性格があるのと同時にユダヤの国王ダビデと言えども完璧な強者ではなくかえって小心者であり信仰者としてはとても未熟者であることを素直に謙遜に表現したものと思われる。このへりくだりがかえって民衆に共感を覚えさせたものと思われる。
●では「主を恐れる者」とはどんな人のことを言うのだろう。「主を恐れる人」に成長するにはどうしたらよいのだろうか。34篇はそのヒントが記されているのだ。列記してみよう。
① 私の口にはいつも主への賛美がある(1)・・・窮地に追い込まれた時こそ心は主に向かっていなければならない。主はいつも正しいと賛美で宣言しなければならない。
② 「苦しむ者が呼ぶと主は聞かれ(6)」・・・窮地から自力で逃れようとせずまず主に呼ばわる必要がある。祈り求める姿勢が必要だ。
③ 「味わい見つめよ。(8)」・・・主の言葉から回答を見つけよ。私の行動に聖書からの根拠があるかを見つけ出そう。
④ 「あなたの舌に悪口を言わせず唇に欺きを語らせるな。(13)」・・・窮地を逃れたい一心でその場しのぎの嘘をついてはならない。
⑤ 「悪を離れて善を行い平和を求めそれを追い続けよ。(14)」・・・行動に出てみようとするときそこに正しさはあるかどうか、他人との平和が保てるかどうかを吟味する必要がある。
●19・20節はイエス様の十字架刑の様子をまさに預言したもの。「主は彼の骨をことごとく守りその一つさえ折られることはない。(20)」。十字架刑は祭儀に罪人のすねを強打し骨を折って絶命するのが慣わしだがイエス様にそれはなかった。(ヨハネ19:33)

=注目語句=

語句①アビメレク(欄外):英語Abimelech[KJV]・ヘブル語アビメレク[ここでは人名としてではなく「ペリシテ人の王の称号」として用いられている,]