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詩篇第一巻 第30篇

詩篇第一巻 第30篇
=本章の内容=

虫が良すぎるダビデの懇願

=ポイント聖句=

まことに御怒りは束の間いのちは恩寵のうちにある。夕暮れには涙が宿っても朝明けには喜びの叫びがある。(30:5)

置かれた状況

「家をささげる」の家とは「神殿」のこと。

祈りの内容

私が穴に下って行かないように。(30:3)
私の主にあわれみを乞います。(30:8)
聞いてください主よ。私をあわれんでください主よ。私の助けとなってください。(30:10)

祈りの確信

2,わが神主よ私が叫び求めるとあなたは私を癒やしてくださいました。
6,私は平安のうちに言った。「私は決して揺るがされない」と。
5,まことに御怒りは束の間いのちは恩寵のうちにある。夕暮れには涙が宿っても朝明けには喜びの叫びがある。
7,主よあなたはご恩寵のうちに私を私の山に堅く立たせてくださいました。
11,あなたは私のために嘆きを踊りに変えてくださいました。私の粗布を解き喜びをまとわせてくださいました。

=黙想の記録=

【奨励の言葉】
4,主にある敬虔な者たちよ主をほめ歌え。主の聖なる御名に感謝せよ。

●「家をささげる」の家とは「神殿」のこと。サムエル記第二7章に、ダビデが神殿の建立を願い出たが主に却下されている。だが歴代第二6章のソロモンの言葉にあるように息子の託して準備だけは整えていた。ところがこの篇で凡そ神殿建立の喜びにそぐわない言葉が出てくる。「私を癒やしてくださいました(30:2)」「よみから引き上げ私を生かしてくださいました(30:3)」「御怒りは束の間(30:5)」とあるが、ダビデの一生で病を負ったと想像できるのはのは「民を数えた事件」後の3日間の疫病。その際7万人の犠牲者が出てしまうがダビデは一命をとりとめる。その時にガドの勧めにより祭壇を築き主に赦しを請う場所がアラウナの地所である。ここがソロモン神殿の建築現場となった。モリヤの山でもある。つまり、この事件の解決後のダビデの心の発露ではないだろうか。
※民を数える事件はサムエル記第二24章を参照のこと。
以下抜粋・・・絶対王政以前の古代イスラエルでは納税と兵役は義務ではありましたが、あくまでも「主なる神様への積極的献身」の表れでした。ダビデはこれを他国同様、「国王への忠誠心の強制」に置き換えようとしたのです。こうした行為は専制君主制の体制維持には不可欠です。しかし、これは「悪魔がこの世を支配する目的と手段」そのものです。つまり、「主なる神様がいつくしむ民イスラエル」にするための代理者ダビデではなく、ダビデ自身が民の支配者として君臨するためだったのです。・・・
●民を数える事件を踏まえ、第三者的にこの詩編を読むと、ダビデはあまりにも虫が良すぎるのではという思いに駆られてくる。自分が犯した罪なのに自分には災いは届かず、民に犠牲者を出すようになるとは。「私が墓に下っても私の血に何の益があるでしょうか。ちりがあなたをほめたたえるでしょうか。あなたのまことを告げるでしょうか。(30:9)」はあまりにも身勝手な言い訳に聞こえてくる。しかしこうした状態での神への懇願は私の身にも数多くあった。あまりにも身勝手な虫が良すぎる。信仰の人ダビデすらこうした体たらくなのだから私は尚更。しかし、主は赦してくださった。ダビデは自分の犯した罪ゆえに一瞬で7万人の命が償われてしまったが、私の場合は「神のひとり子」を犠牲にしていたのだ。

=注目語句=

語句①御怒り(30:5):英語anger; ヘブル語アフ(אַף)腹を立てる*鼻孔、鼻、顔(情熱の中で急速に呼吸することから)怒り
語句②束の間(30:5):英語a moment ヘブル語レゲ(רֶגַע)一瞬,間も無く
語句③恩寵(30:5,7):英語favour ヘブル語ラッソウン(רָצוֹן)喜び、好意、好意、受け入れ