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詩篇第一巻 第22篇

詩篇第一巻 第22篇
=本章の内容=

受難のメシヤ預言、十字架を取り囲む人々の描写

=ポイント聖句=

わが神わが神どうして私をお見捨てになったのですか。私を救わず遠く離れておられるのですか。私のうめきのことばにもかかわらず。(22:1)

置かれた状況

そもそもこの22篇はダビデがバジャンの軍隊(アモリ人)に囲まれ劣勢に陥っているときに決死の祈りを捧げものだった

祈りの内容 祈りの確信 =黙想の記録=

💚詩篇22篇は「メシア預言」という位置付けもされているほど、イエス様の十字架刑の様子を克明に描写している。22章後半ではこの祈りが聞き遂げられたことが記されている。「死に瀕している者が、再び命を与えられた。」の表現は、正にイエス様の十字架の死と復活を予兆しているわけだ。
💚22章を読み進めるうちに、その章に次々に登場する生き物が気になってくる。これらの生き物を引き合いに出したのには何か隠された意味があるのでは?以下に列記してみる。
●新改訳2017●
①暁の雌鹿・・原語には表記されていない
②虫けら(6節)
③雄牛・バシャンの猛者(12節)
④獅子(13節)
⑤犬ども(16節)
⑥野牛(21節)
●NKJV訳●
①the dear of dawn単複同形
②a worm単数
③bulls複数
④lion単数形
⑤dogs複数形
⑥wild oxen複数形
●日本語では単数形複数形の違いが明らかではないが、NKJV訳はそれを明らかにしている。『銘形秀則先生の「牧師の書斎」』で、この生き物達のことを十字架上のイエス様と十字架を取り巻く人々の事を指していると仰っていた。
①暁の雌鹿の鹿は単複両形で、これは父なる神様と子なるイエス様の両方を指していて、雌鹿の出産同様、十字架の苦しみを通して新たな命を産み出す様子を表していると思われる
②はわざわざ単数形の表記がされており、人として取り扱われないイエス様を指すと思われる。
③雄牛は祭事に捧げられる生贄のことで、バシャンの雄牛は更に良質だった。これはユダヤ人の催事にも関わる人々、つまり祭司達を指していると思われる。
④獅子は敢えて単数形扱い。新約では悪魔を示していると思われる。
⑤犬どもは旧新双方とも余り良いイメージがない。無知蒙昧な粗野な群衆や異邦人を指していると思われるが、特にここでは十字架刑の執行者のローマ兵を指していると思われる。
⑥野牛は催事には使われないが、聖なる生き物の代表。その意味ではユダヤ人全体を指すと思われる。
●こうして配置された生き物を見てくると、これらは正に十字架刑が執行された「ゴルゴダに集合した人々」を指している事になるとは言えないだろうか
●詩篇21章4節の彼はダビデ本人を通り越して来たるべきメシアを指し示している。続く22〜24章は全て来るべきメシアを容易に想起させてくれる。メシア詩篇と呼ばれる所以で、この22章はその中でも際立っている。それは人類の救済に先立って必ずメシアに苦難が強いられている事を詳細に預言している個所だからだ

=注目語句=