詩篇第一巻 第12篇
詩篇第一巻 第12篇
=本章の内容=
悪魔の言葉の誘惑に対し、主の混じり気のないことばが有効
=ポイント聖句=主のことばは混じり気のないことば。土の炉で七度試され純化された銀。(12:6)
置かれた状況 祈りの内容①主がへつらいの唇と傲慢の舌をことごとく断ち切ってくださいますように(12:3)
祈りの確信主よあなたは彼らを守られます。今の代からとこしえまでも彼らを保たれます。(12:7)
=黙想の記録=●本篇には言葉・話し方に関する単語が多用されている。「むなしいこと、へつらいの唇、二心、傲慢の舌、卑しいこと」に対してたった一語「混じり気のないことば」が対峙している。この個所も「悪魔の誘惑シリーズ」と位置付けるなら、私達が誘惑に陥りやすい状況はまず「耳に入ってくる情報」と言っている様だ。悪魔の「言葉による巧妙な誘惑」に対し、「主の混じり気のないことば」が有効であるということになる。「混じりけ」は私達人間が付け加えるもの。「自分の都合の良いように御言葉を取り扱うこと」がそれに該当する。「主のことばは混じり気のないことば。土の炉で七度試され純化された銀。(12:6)」の聖句はパウロの言葉「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。(ローマ5:3~)」を思い浮かばせる。つまり「試練に遭遇しない限り、混じりけの無い主のみことばの意味を正確に体験することはできない」。「試練は自分に与えられた御言葉を純化させる道具となる」。ある奉仕に召命を受ける際御言葉が示されることがある。しかし、その御言葉が本当に自分に示されたものなのかを確実にするのは何度も訪れる試練の数々ということになる。
●また何度も試練に出会っていなければ自分の品性は磨き上げられない。無味乾燥な言葉をあげつらうより、他者は人の内側の品性を凝視している。練られた品性は無言の言葉として説得力があるからだ。