詩篇第一巻 第11篇
詩篇第一巻 第11篇
=本章の内容=
神の国の住人としての意識
=ポイント聖句=主はその聖なる宮におられる。主はその王座が天にある。(11:4)
置かれた状況●本章も苦境のただ中にダビデは置かれている。
祈りの内容神に対する願い事がない
祈りの確信・直ぐな人は御顔を仰ぎ見る(11:7)
=黙想の記録=●「鳥のように自分の山に飛んで行け(11:1)」とは悪者どものダビデの臆病さをなじる言葉だ。「拠り所が壊されたら正しい者に何ができるだろうか(11:3)」と言っているがダビデが拠り所としている主への信仰をなじる言葉を続けている。信仰者を「鳥」に例え、また「正しい者」と呼んでいる。「一日中虫や果実を食する鳥の様に、せわしく動き回るだけで何の解決も見いだせていないではないか?」「神の正義を行うと声高に叫んでいた者が見ろ、このざまだ。神の正義を貫いたところでお前の生活は楽になったか?向上したのか?」こう悪魔は私達基督者に耳打ちする。これがまさしく悪魔の誘惑の声である。信仰者本人のやる気をくじくだけでなく信仰心を失わせるのが悪魔の常套手段である。悪魔はこの世の支配者なのでいつも信仰者が何かに挫折すると、この世のスケールを持ち出しては信仰者のやる気を失わせようとする。しかしそれに対し本章の作者は「主はその聖なる宮におられる。主はその王座が天にある(11:4)」と悪魔のスケールの次元の低さに反論する。悪魔の低次元のスケールに同調してはいけないのだ。私達の信仰の基準はわが魂に居て下さる聖なる聖霊の思いであり私達の信仰の最終目標はこの世の評価ではなく神の国へと続くものであることを肝に据えるべきなのだ。この世の評価は考えるに値しない。「主は正しく正義を愛される(11:7)」とあるように「私のプライドが保たれる」ことより「神の正義がなされることを喜びとする」信仰心が基督者の行動の基準である
=注目語句=語句①(正義)・・・英語righteousnessヘブル語צְדָקָה(ツェダカー)正義・誠実(旧約)52回(新約)10回・・・パウロも書簡で正義を追求するよう勧めている。自分に対しても他者に対しても同様な言動をとることをさす。
「あなたがたは以前は闇でしたが、今は、主にあって光となりました。光の子どもとして歩みなさい。あらゆる善意と正義と真実のうちに、光は実を結ぶのです。(エペソ5:8~9)