詩篇第一巻 第3篇
詩篇第一巻 第3篇
=本章の内容=
❶多くの敵と主の存在❷私の周りを囲む盾➌神への嘆願
=ポイント聖句=①多くの者が私のたましいのことを言っています。「彼には神の救いがない」と。セラ(3:2)
②しかし主よあなたこそ私の周りを囲む盾私の栄光私の頭を上げる方。(3:4)
③私は幾万の民をも恐れない。彼らが私を取り囲もうとも。(3:6)
ダビデがその子アブサロムから逃れたとき
(1)アブサロムについて
・ダビデと他国の王女マアカとの間に生まれた三男。ダビデの長男アムノン(異母兄弟)を殺害・ダビデの元から祖父タルマイのところへ逃亡・妹タマルの凌辱事件から4年後に父ダビデに反旗を翻す。イスラエル国民が支持。・エルサレム入城と即位・軍司アヒトフェルの自殺から徐々に形勢がダビデに傾いてくる・エフライムの森でダビデ軍と激突・アブサロムの軍勢は完敗・ヨアブにより殺害される
(2)都落ちしていた時のダビデの様子(推定65歳前後)
・サムエル記第二15・16・17章の頃(サムエル記第二の黙想の記録を参照)・アブサロムの周到なクーデターと腹心の部下の離反は相当ダビデの心に重圧だったことだろう。
祈りの内容
①主よ立ち上がってください。私の神よお救いください。(3:7)
②あなたの民にあなたの祝福がありますように。(3:8)
①主は私の周りを囲む盾である(3:3)
②主は私に答えてくださる(3:4)
③主が私を支えてくださる(3:5)
④救いは主にある(3:8)
❶多くの敵と主の存在(1~2節)
イスラエルとユダの多くの民衆もそして重臣たちもアブサロムの側に付いたが、それは明らかに主の御心に反することであった。「彼には神の救いがない」とまで非難されている。かつて重臣は全員一致でダビデが油注がれし者と認めていたのに(サムエル第二5:3)、この始末はいったいどうしたことだ。しかしこの重臣たちの手のひら返しの背景はいったいどこから。このように考察してみた。
第一にダビデが老齢になっていたから王として精彩に欠けていたこと。戦いの第一線から退いていた。
第二に他国の王と同様豪奢な王宮を構え一般民衆と乖離した贅沢な生活を送っていた。複数の妻とそばめを持ちそれぞれに華美な生活を送らせていた。これらは国庫を疲弊させる元凶と思えた。
第三に部下をぞんざいに扱うようになった。ヘテ人の軍人ウリヤへの不条理な取り扱い。
こうした事柄が重臣や民衆を幻滅させ、若き有能な王子アブサロムに傾倒させていたと容易に想像できる。すべてダビデの蒔いた種を刈り取っているものだ。それ故に、私個人とすると、この3篇のように命乞いとも思われる詩篇はあまりにも虫が良すぎると思いが沸々と湧いてくる。
❷私の周りを囲む盾(3~4節)
都落ちは全てダビデの至らなさから出たもの。彼が蒔いてきた種を刈り取っているに過ぎない。しかし、こうした災いは、ダビデの養育者である主(父なる神)からの愛の鞭であると考えると溜飲が下がってくる。ダビデが確信していたのは正にこの部分。神は裁判官や刑の執行者ではなく「私の養父」であるとの確信に違いない。
わが子よ、主の懲らしめを拒むな。その叱責を嫌うな。箴言3:11
わたしは愛する者をみな、叱ったり懲らしめたりする。だから熱心になって悔い改めなさい。黙示録3:19
この確信があったからこそダビデはここで霊的な回復ができた。「目前の災難は主からの試練である」との確信である。
➌神への嘆願(5~8節)
「私は身を横たえて眠りまた目を覚ます(3:5)」の文で思い出されるのはガリラヤ湖で荒らしに遭遇した際のイエス様のご様子(マタイ8:24)である。湖が大荒れとなり舟が大波をかぶってもイエス様は眠っておられた。単に横になっていたわけではない。イエス様のこの平安はどこから来ておられるのだろう。それは十字架以外にイエス様の死に場所はないと確信しておられたからに相違ない。ダビデがこう言いえたのは同様な経験による確信があったと言えるからだ。ダビデは今回と似た経験が以前にもあった。それは10余年に渡るサウル王からの逃亡生活である(サムエル記第一19章~第二1章)。この逃亡生活でダビデが悟ったことは主の召命は反故されることはないということだった。
「救いは主にあります。あなたの民にあなたの祝福がありますように(3:8)」はダビデの「人たらし」の所以を表す一言である。民衆を敵とは見なしていない。無知蒙昧な民を慈しむダビデの親心が表されている。
語句①סֶלֶה(セラ)・・・詩編で71回使われている。詩によって表現された感情を際立たせるためのアクセント、一時停止、中断を示す専門的な音楽用語。この3篇には3回も使用されているところから、ダビデが都落ちした時の情景の深刻さが伝わってくる。我が子と重臣から裏切られる苦悩はいかばかりであろうか。
語句②盾מָגֵן(マゲイン)・・・新旧約で77回使われている。アブラハムも「わたしはあなたの盾である(創世記15:1)」との約束の言葉を頂いている。またモーセも「主はあなたを助ける盾(申命記33:29)」との言葉を持ってイスラエルを祝福した。
語句③支えるסָמַךְ(サマァㇰ)・・・「支える」は詩編中に20回使われている。日本語では「物が落ちたり倒れたりしないようにつっぱってくいとめる・もちこたえる・維持する・くいとめる・防ぎとめる」の意味がある。ヘブル語は「もたれる・横たわる・休む・支える・置く・寄りかかる・持続する・リフレッシュする・復活する」の意味がある。英語はsustainで「維持する、養う、扶養する、支える、持続させる、続ける、(…を)元気づける、励ます、耐える、屈しない」の意味がある。ダビデは日本語や英語の意味にある全ての意識を持っていたと言える。窮地に追い込まれた際必要なのは「先導される」ことよりむしろ「支えられる」ことの方だ。