詩篇第一巻 第2篇

詩篇第一巻第2篇
=本章の内容=

❶神の王国とそれに対峙する国々の存在❷御子による統治➌主を恐れて生きよ

=ポイント聖句=

①なぜ地の王たちは立ち構え君主たちは相ともに集まるのか。主と主に油注がれた者に対して。(2:2)
②「私は主の定めについて語ろう。主は私に言われた。『あなたはわたしの子。わたしが今日あなたを生んだ。(2:7)

置かれた状況

1~3節:ダビデ王が即位しイスラエル王国が開始するにあたり、初代国王サウルの配下の者の抵抗があった。またイスラエルが勃興するにつれ近隣諸国の王がそれを阻止しよとしていた。

祈りの内容

本篇には主に対する願いはない

祈りの確信

4~6節:主が敵に対峙される。主は敵を粉砕される。
7~9節:私の誕生しこの世に生を受けたのも、また王権を授けてくれたのも主である。主が責任を取ってくださる。
10~12節:対峙する者たちに対する信仰者としての心構え。我が力に寄らず。神の力が敵を滅ぼす。

=黙想の記録=

❶神の王国とそれに対峙する国々の存在(2:1~6)
使徒たちが初代教会で語った説教の核心部分として引用たもの(使徒4:25・26)がこの詩編第2編である。イエス様の十字架刑を科した人物たちのことやイエス様が地上再臨される際の社会状況を預言したものと言える。
(1)2:1~3の聖句は以下の4つの事件を想起させる。

主に油注がれた者 取り囲んだ者たち 最終的な扱い
①ダビデ ユダヤを囲む諸国の王 ダビデの軍門に下る
②イエス・キリスト ローマ総統ピラト、ヘロデアンティパス、大祭司カヤパ 西暦70年にローマ軍によってその多くが虐殺された。
③当時の使徒たち 官憲からの迫害 神の国を伝えることになった
④地上再臨されるイエスキリストと神の軍隊 悪魔、反キリストの旗印のもとに集まる諸国連合 ハルマゲドンの戦いで天の軍勢によって蹴散らかされる
[まとめ] ・第一にダビデ王が即位するにあたって、ユダヤを囲む諸国の王がそれを阻止しよとしたこと。しかし最終的には周辺諸国はダビデの軍門に下っている。
・第二に使徒の働き4章25・26節でペテロとヨハネの捕縛され後に釈放された後に初代教会の聖徒たち全員の前で言い放ったのがこの個所である。イエス・キリストを十字架刑に掛けるために一致協力したローマ総統ピラトとヘロデアンティパス、さらにはユダヤ教最高権力者の大祭司カヤパを指す。しかし、西暦70年にローマ軍によってその多くが虐殺された。
・第三に当時の使徒たちが経験していた官憲からの迫害「さあ彼らのかせを打ち砕き彼らの綱を解き捨てよう。」とは信仰によるメシヤとの絆を打ち砕こうとする企てのこと。しかし、この迫害から聖徒は全世界に散らばり神の国を伝えることになった。
・第四にやがて地上再臨されるイエスキリストと神の軍隊、それに対峙する悪魔と反キリストの旗印のもとに結集する諸国連合のことを指している。やがて彼らはハルマゲドンの戦いに召集されるが、天の軍勢によって蹴散らかされることになる。
❷御子による統治(2:7~9)
[一覧表]
子と呼ばれる人物 父なる神(主)との関係 統治の様子
①ダビデ 王として任命したのは自分の意志ではなく主である。 イスラエルとその近隣地域(主が占領せよと命じられた地域)に限定されている
②イエス・キリスト 神の子として任命されたのは父なる神である 文字通り「地の果て」=全世界
[まとめ] パウロがピシディアの会堂で放った説教での引用(使徒の働き13章33節)となっている。ダビデが直接主によって任命された王であることを宣言する箇所であるが同時にイエス様がメシヤであることを古の詩編作者が預言した個所でもある。

➌主を恐れて生きよ
主に従う者の態度として①悟れ②慎め③仕えよ④口づけせよと列記されている。
①恐怖心からではなく「悟ること」つまり主のみ教えから悟りを得ることが先決である。
②新約の書簡では「慎み深く」が17回使われている。日本語で「慎み深い」とは「心を引き締めて軽はずみな言動をしない。遠慮がちで控えめである」の意味で「謙虚」とか「思慮深い」とも同義語である。
③「仕える」は英語で「sereve」、ヘブル語で「アベードゥ」で「勤める・働く・奉仕する」のほか「耕す」の意味がある。②③は「僕」としての態度を想起させる。主人公として勝手にふるまうことを避けなければならない。
④口づけせよは英語で「kiss」ヘブル語では「ナシャーク」で「口づけする」のほかに「そっと触る」の意味もある。キスをする習慣に日本人はなじみがない。「親愛の情を示す」という意味なら日本人の場合は態度ではなく「言葉」を持ってそれを表現することになる。私達が従っている御子イエス様に対しては無論言葉により気持ちを表明することになろうか。

=注目語句= 語句①「杖」木製の杖が一般的に羊を誘導する道具であったり、老人の第三の足替わりである他、長老や権力者の権威の象徴として聖書全体で合わせて101回使われている。「鉄の杖」は聖書中、詩編で1回、黙示録で3回しか出てこない。鉄の杖は重量感や折り曲げることができない頑強さをイメージさせる。新改訳2007版では鉄の杖で「牧する」と翻訳しているが、英語は「break」で「壊す」の意味があり、ヘブル語では「ラ・アー」で「壊す・砕け散る・破れる」意味のほか「害を及ぼす・けがをさせる・気に障らせる」などの意味もあるが「牧する」という要素はない。詩編は2行の文が対となっていることを考えれば「鉄の杖で打ち砕き、陶器を粉々にする」という新改訳3版の方が原文に近いのではないかと思われる。
語句②「陶器」は聖書全体では18回使われている。陶器は器に使われている。陶器は粉々になってかけらになると再利用はできない。作り変えられることはない。