詩篇第一巻 第1篇

2024年11月18日

詩篇第一巻 第1篇
=本章の内容=

❶黙想・瞑想するとは?

=ポイント聖句=

主のおしえを喜びとし昼も夜もそのおしえを口ずさむ人。(1:2)

=祈りの概要=

・詩編第1編は筆者の内面を吐露した「祈り」はなく「説諭的な内容」になっている

=黙想の記録=

①詩編全体では「幸いなことよ」という単語が24回使われている。英語では「blessednes,happiness」ヘブル語では「エシャ」が利用されている。
[1:1,2:12,32:1,32:2,33:12,34:8,40:4,41:1,65:4,84:4,84:5,84:12,89:15,94:12,106:3,112:1,119:1,119:2,127:5,128:1,137:9,144:15,146:5,] 代表的な文をあげてみると。
2:12:すべて主に身を避ける人は
32:2:主が咎をお認めにならずその霊に欺きがない人は。
34:8:主に身を避ける人は
40:4:主に信頼を置き 高ぶる者や 偽りに傾く者たちの方を向かない人
119:1:全き道を行く人々 主のみおしえに歩む人々。
119:2:主のさとしを守り 心を尽くして主を求める人々。
いずれもこの世の尺度を「幸せ」の基準としていない。いずれも「内面的な成長の度合い」や「みことばに対する真摯な姿勢」を尺度としている。
②新約聖書でも山上の垂訓の場面でこの「幸いなことよ」が使われているが、詩編の内容から比べるとより直接的で具体的な内容となっている。(マタイ5~7章・ルカ6章)
③●「口ずさむ」という言葉はともすれば鼻歌の様に軽く口にするイメージを与えるが、どうもこの翻訳は軽すぎると思う。
●ここで使用されている「口ずさむ」は英語では「meditates」が使われ、ヘブル語で「ハガー」が使われている。ちなみに韓国語聖書は「黙想する」となっている。「口ずさむ=暗唱する」意味合いよりも「黙想する・瞑想する」に重点が置かれていると思う。その時々の霊的成長度によって、またその時々に置かれている環境によって黙想内容・瞑想内容は絶えず変化する。同じ個所を読んだとしても年齢により環境により浮かび上がる黙想内容が異なるのは当然。一葉ではないはず。
●この「ハガー」には「黙想する・瞑想する」の意味のほかにも「呟(つぶや)く、唸(うな)る、想像する」もある。未成熟な信仰心の場合、「呟く(イザヤ59:3)、唸る」の和訳もあるように、その時の自分にとって置かれた環境が不条理極まりないと感じ、苛立ちから、父なる神様に訴えかけるようなこともしばしばあり得る。ちょうど思春期の私達が「父さんのわからずや。父さんは頭が固い」などと反抗するのと似ている。しかしそんな場合呟き唸った後には、気まずさが生じないだろうか。さらには、幼稚な私達の不平不満をも静かに受け止めて下さる父なる神の存在を結果的には気づかされることはないだろうか。「呟いたり、唸なったり」する黙想・瞑想もありだと思う。黙想・瞑想は単に考えたり想像したりするだけの代物ではない。この黙想・瞑想には当然祈りも伴っているはず。黙想・瞑想の時間とは祈りを含めた父なる神様との親密な会話でもある。それゆえに黙想・瞑想が数分で終わるなど言うことは考えられないはず。何度も何度も同じことを繰り返すこともあり。あるいは時を経て急に納得できる場合もあり。
●聖句を暗唱したりまた聖書を通読することは推奨されるべきですが、それ以上にこの詩編第1篇は「聖書を瞑想する」ことを勧めている。
④「風が吹き飛ばす籾殻」とあるが「浅薄な霊的状態」のことで自己流による信仰心で自己満足したり己惚れている状態で、深刻な問題が起こればその信仰心は吹き飛ばされてしまう。逆に「流れのほとりに植えられた木」とは根が張っていて深刻な状況に陥ることがあっても信頼が揺るがない人をさしている。信仰心は試されなければ根をはることができない。決して強化されない。新生したからと言って即信仰者としての完成形になるわけではない。