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コロサイ人への手紙 3章

コロサイ人への手紙 3章
=本章の内容=

❶古い人を脱ぎ捨て新しい人を着る❷キリストの教会の一部としてのありかた➌夫、妻、父、子、奴隷としての応用

=ポイント聖句=

・・・あなたがたは、古い人をその行ないといっしょに脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。(3:9~10)
キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。(3:16)

=黙想の記録=

●スクテヤ人(スキタイ)は起源前7世紀に南ロシア草原に現れたイラン系の遊牧民族で一時大国となったものの、起源一世紀にはギリシャの一角でギリシャ風の生活を行っていた。大変残酷な死刑が行われていた上、罪人の家族は皆殺しにされていました。死者の葬り方も変わっていました。パウロは、この一風変わった野蛮な民族でさへ救いに導かれていることを紹介したかったのでしょう。
●パウロは本章で基督者としての新しい歩み方を「新しい人を着た」という表現を使って説明しています。すなわち爪や髪の毛が自然に伸びてくるように、信仰の成長は「自然現象ではなく、意識して身に付けるもの」であることなのです。小さな子供にとって「悪しき習慣は意識しないでも身に付けられますが、良き習慣は何度も習わないと身に付かないもの」と酷似しています。衣服の着脱は乳幼児にはできません。他人の助けが必要です。しかしある程度の年齢に達すれば、当然自分でできなければなりません。この古き人も意識して脱ぎ捨てなければなりません。この古い人をリユーズしてはいけません。脱ぎ捨てるのです。悪しき習慣は欲望から生まれます。必要以上に欲望を野放し状態にすることを「むさぼり」と呼びます。
●聖霊はいつでも信仰の成長を手助けしてくださいますが、基督者が意識しない限り、信仰の成長は望めないのです。あなたが成長するまで、先輩基督者に世話をしてもらう必要はこんなところにもあるのです。どのようにしてでしょうか。お互いに罪を告白しあうことは古き人を脱ぎ捨てる行為です。黙想を共にすることは新しき人を着ることになります。こうしたことの為に教会は必要なのです。成熟していてもこの行為が必要な場面もあることを忘れないでください。教会は「互いに教え、互いに戒め」合う場所です。
●基督者として身に付けなければならない新しい人の人格とは「深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容」で、いずれも対人関係において必要なものばかりです。そして教会と家庭と社会(職場)がそれを必要とする場所なのです。

新約聖書

Posted by kerneltender