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ピリピ人への手紙 1章

ピリピへの手紙 1章
=本章の内容=

❶真の同志への挨拶❷投獄と福音の前進➌生も死も

=ポイント聖句=

さて、兄弟たち。私の身に起こったことが、かえって福音を前進させることになったのを知ってもらいたいと思います。(1:12)
・・・つまり、見せかけであろうとも、真実であろうとも、あらゆるしかたで、キリストが宣べ伝えられているのであって、このことを私は喜んでいます。(1:18)

=黙想の記録=

●獄中書簡4書の中でこのピリピ人への手紙は、一番気の置ける信仰の友に書き送ったように思える手紙です。コリント・ガラテヤ教会は、信仰の基礎さへもおぼつかない人々が多く、信仰の故の試練など到底受け入れがたかったのです。しかしピリピ教会の成熟は目覚ましく、他のどの教会にましてパウロの心中が分かっていたからです。「私の愛し慕う兄弟たち、私の喜び、冠よ(4:1)」との呼びかけをするほど、パウロもピリピ教会に全幅の信頼を置いていたのです。
◆「見せかけであろうとも、真実であろうとも、」とパウロ自身は、ある兄弟たちの働きの動機が何であるかを見抜いていたのです。しかし、だからと言って、「外見的な活躍ぶり見て妬みの心など持つ」ほどパウロは狭量な人間ではありませんでした。信仰の基礎力が欠けている基督者ほど、他者の活躍が気になり、嫉妬心で胸も頭も膨れてきます。なぜでしょう。それは「快適な信仰環境の中」にいたいだけで、「自分の信仰が試されること」を避けているからです。こういう人は、エペソ人への手紙の概要説明でも述べましたが、わが身をキリストの十字架に付けられないのがその原因です。
●パウロは言います。「キリストのための苦しみをも賜わった」と。「信仰の心地よさだけを追及している」のでは「本物の信仰者」にはなれません。