マタイの福音書28章

マタイの福音書28章
=本章の内容=

❶復活の目撃者❷世界宣教命令

=ポイント聖句=

それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、 28:20また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(28:19~20)

=黙想の記録=

《1~10節》復活の目撃者
(1)ユダヤの墓事情を調べてみると、洞穴に安置されたイエス様の場合は「裕福な人々の家族墓地」とあり、一般的には敷地内に、石棺や木製の棺桶に寝かせ、それを埋めるという方法を取っていました。さらにその上に石を摘んだり、簡易の納骨堂を建てるとありました。後者は土葬ですから、腐敗が早く進みますが、洞穴の場合は墓を封鎖してしまったら、なかなか腐敗がすすみません。そこで、布に包み腐敗が早く進むための薬品を塗りこみます。そこで、マグダラのマリヤ等はその薬品を塗り込むために、封印して番兵までつけられていた状態とはつゆ知らず、墓に出かけていきます。ところが復活の朝、この番兵たちは三重の超自然現象に腰を抜かしその場からいったん去ってしまうのです。この直後に邪魔するものをすべて取り除かれた墓に婦人たちが絶妙のタイミングでやってきました。
(2)復活のイエス様に出会った人物の順番は、マリヤ、次に使徒ではない二人の弟子、最後に十一使徒です。マリヤは最初空っぽの墓だけを確認しただけでイエス様には直接会っていないのです。光に包まれた天使を見て恐怖心はありまたが、天使の勧めに応じ、男性弟子の待つところにこの吉報を伝えに帰っていくのでした。その途中で、確かによみがえったことを証しするためにイエス様は女性たちに姿を現すのです。女性の弟子がなぜ最初に目撃者となる必要があったのでしょうか。女性の地位の低さは、近代の日本同様男尊女卑は露骨な物でした。よほどの著名人でなければ、女性の証言など信じる男性はいません。その女性に復活のメッセージを託すことができたということは、主にある兄弟姉妹の集う教会では、新しいルール(主なる神様の前に男女は平等である)が実行されようとしていたからなのです。イエス様は壁を通過できる方です。なぜ墓の出口の石をすり抜けないで、封印を切り破り、この石を取り除ける必要があったのでしょうか。それはイエス様の弟子たちの為だったのです。3日目によみがえることを可視的にしなければ、誰が復活したなどと分かるでしょうか。ここにも神様の深い配慮があったのです。
(3) イエス様から声を掛けられたマリヤの心境はどれほどのものだったでしょう。彼女がイエス様に縋(すが)り付こうとした気持ちも十分理解できます。彼女はもうこれ以上イエス様をどこにも行かせたくなかったのです。この地上に縛りつけておきたかった思いは彼女だけではなく他の弟子達も同じでした。イエス様は彼女のこの人間的な思いを察してはいましたが、父なる神のところに戻ることで、聖霊が助け主として来るという秩序を守らなければならなかったのです。マリヤの手を振り払ったのはこの理由からなのです。
《11~16節》宗教指導者の悪あがき
(1)ローマ兵が職務放棄(イエスの墓から逃げ出す)ことは、処罰をまぬかれません。ことの次第によっては彼らは処刑も免れません。ですから彼らの報告は命がけのはずです。嘘をついてどうなるでしょう。祭司長たちは民の長老たちはイエス様の復活を認めざるを得ません。ところが彼らが行ったのは噓の上塗り、「弟子たちが盗んだ」と矛盾だらけの話を言いふらすことだけでした。宗教指導者がいかに低次元の人々であったかをマタイはここで改めて紹介するのです。

《17~19節》宣教命令
(1)ガリラヤは、イエス様の宣教活動の本拠地でした。エルサレムではありません。そこに戻って、正式に新たな宣教活動を宣言ないました。「宣教命令」ではありますが、不思議なのは、「伝道せよ」との言葉の代りに「弟子としなさい」「教えなさい」と命じておられるところです。ここで思い出すのはマタイ10章の派遣の時の出来事です。彼らは成果を自慢しあいました。「弟子とする」前提では、弟子として信頼してついてこられるだけの内容ある人物になっていなければ、それは実行できません。つまり御霊の実を結実させるなら、それは可能ですが、それ以外は個人パフォーマンスの域を出ないのです。口先だけの伝道には説得力が欠けているのです。