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マタイの福音書27章-2

マタイの福音書27章-2(27:32~37)
=本章の内容=

❷クレネ人シモン❸十字架(1)

=ポイント聖句=

彼らは、「これはユダヤ人の王イエスである」と書かれた罪状書きをイエスの頭の上に掲げた。(27:37)

=黙想の記録=

《32節》クレネ人シモン
🔴他の福音書では「いなか」と表現されているクレネ(キュレネ)ですが、古代ギリシャ都市クレタ島の南南西、現リビア領内にあったギリシャ五大都市の中で最大・最重要を誇った港湾都市で、おおよそ「いなか」のイメージではありません。このクレネは、バビロン捕囚の際、離散したユダヤ人が辿り着いた先です。つまり、ここに出てくるシモンは、ユダヤ人で、エルサレム巡礼=クレネ・エルサレム間約1000km:一日40kmのラクダで25日程度。この程度の大規模旅行には付き人も何人のいたはずです=に来ることのできほどの資産家で信心深い人物であったと想像できます。この書き方をするとこのシモンに対するイメージがだいぶ変わってきます。マルコによれば、彼は、アレキサンドロとルフォスとの父。ルフォスはローマ人への手紙(16:13)中に出てくるパウロの同労者です。資産家でなければパウロへの相応の支援はできなかったはずです。と言うことは、エルサレム巡礼に来ていた人物でクレネ独特の民族衣装を着けて目立っていた人物がシモンであったはずです。兵士は偶然彼を見つけたわけではなく、エルサレム以外で事業を成功させた「成金」を辱めるために彼を選んだとは言えないでしょうか。こう考えると、シモンにとっては十字架を担うことは、より屈辱的な出来事となるのです。しかし、ここでシモンはイエス様の十字架を背負うことに反論をしていません。兵士に対して袖の下を差し出せばその場から逃げ出すこともできたはずです。黙々と背負っていく姿は、何を私たちに教えているのでしょう。

《33~44節》十字架(1)
🔴ゴルゴダは、ヘブライ語ではなくアラム語で「頭蓋骨(どくろ)」を意味する「グルガルタ」から由来するとされています。どこにあったのかは諸説ありますが、ともかく中心部から離れたところにありました。マタイはこの道中のことを省いています。
🔴マタイの記した十字架刑模様を箇条書きにすると
(1)苦みを混ぜたぶどう酒を拒否する=「苦みを混ぜたぶどう酒」は、マルコはこれを「没薬を混ぜた」と表現していることからこの場合痛みを和らげる鎮痛薬ということになります。当時のユダヤ人の習慣として、死刑囚に対する慈悲行為で、通常、死刑囚はこの鎮痛剤を切望するものです。この行為も、実はイエス様を愚弄するものだったのです。イエス様はサタンの慈悲を受けるつもりもなかったのです。
(2) 「彼らはくじを引いて、イエスの着物を分け」とありますが、分けたのはローマ兵ですが切り裂いたのではなく、くじに当たった者が独占しました。この上着はイエス様ご自身のもので、この上着に触れた人間の病が次から次へと癒されていたのです。欲しがるのも無理はないでしょう。しかし、彼らの無意識の行為は詩篇22:18「彼らは私の衣服を分け合い、私の衣をくじ引きにします。」という預言の成就だったのです。
(3)「これはユダヤ人の王イエスである。」と書いた罪状書きは、ローマ法では死刑に相当する「反逆罪」ではなかったのです。罪状書きはラテン語で「IESVS NAZARENVS REX IVDAEORVM」です。この頭文字が「INRI」でラテン語で魚を意味します。キリスト者同士が自己紹介の代わりに魚を描いたのはここに由来します。ところがここにはピラトのユダヤ人指導者への精一杯の皮肉が含まれているのです。つまり、当時ユダヤには「王」という称号を与えられた人物はいなかったのです。つまり、称号をわざわざ冠としたのは、「ユダヤはローマの手の平に乗っかっているだけ。これを忘れるな」の意味があったのです。