マタイの福音書24章-2
マタイの福音書24章-2(24:15~31)
=本章の内容=
❸大患難時代
=ポイント聖句=そのとき、人の子のしるしが天に現れます。そのとき、地のすべての部族は胸をたたいて悲しみ、人の子が天の雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来るのを見るのです。人の子は大きなラッパの響きとともに御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで四方から、人の子が選んだ者たちを集めます。(24:30~31)
=黙想の記録=《15~24節》荒らす忌むべきものと大患難時代
(「荒らす憎むべき者」とはダニエル書の「彼は一週の間、多くの者と堅い契約を結び、半週の間、いけにえとささげ物をやめさせる。忌まわしいものの翼の上に、荒らす者が現れる。そしてついには、定められた破滅が、荒らす者の上に降りかかる。」(9:27)に登場する人間のことです。この事件は、ユダヤ人には、史実として理解されているものです。マカベア戦争(BC 168~141)の勃発は、168年シリア王アンチオコス4世エピファネスが、ユダヤ人に対するヘレニズム化政策を強化するため,エルサレム神殿にゼウス像を持込み偶像礼拝を強制したことから始まりました。ところが、これはイエス様の時代からかなり遡る事件です。ということは、今後この事件のような出来事が繰り返されることを預言されたことになります。個人的な意見ですが、仮にこの事件が終末に起こる大患難(大きな苦難)時代の発端であるなら、16~20節の一つ一つの警告から、ユダヤ人の逃げ惑う緊迫した様子が伺えるのです。しかし、これはユダヤ人に向けて書かれたもので、携挙されたキリスト者(ユダヤ人キリスト者も含む)のことではありません。
16節の「山」は、ヨルダン川東の山地のことです。
17・18節の「屋上にいる人」や「畑にいる人」の言葉が表しているのは、平凡な日常に突如訪れる危機のことです。
19節の「身重の女たちと乳飲み子を持つ女たち」は迅速な行動ができるはずがないので、前もって準備し、またその時のしるしを見極める必要があるのです。
20,節の「冬や安息日」とは、ヨルダン川の水かさが増す冬や移動を許されていない安息日のことです
(2)大患難時代は、、第二次世界大戦同様の世界規模のユダヤ人迫害が起こります。ですからこの時代(3年半)の「日数が少なくされます」
(3)「偽キリストたち、偽預言者たち」の出現は、それでも生き残ったユダヤ人をイエス様による十字架の救いから関心を逸らせるためのサタンの攻撃です。大きなしるしや不思議が何をさすのかわかりませんが、「永遠の救い」とは無関係の奇跡のはずです。しかし、キリストの地上再臨は「稲妻が見えたり聞こえたりする」のと同様に鮮烈な出来事で他の者とは比較になりません。28節の「死体」はユダヤ人の惨殺の様子、「禿鷹」はイスラエルに攻め込む容赦ない異教徒の軍隊のことをさしています。
(4)29節の天変地異の様子は、「暗黒時代」のことで、世界情勢は全ての点で最悪であることを意味しています。
(5)30・31節は栄光に包まれて再臨されるイエス様のご様子です。全世界から集められた失われていた部族も含め「すべての部族」は、自分たちこそ、メシヤを十字架につけた張本人であることを悟り悔い改めるのです。しかし、最後の決戦後、イスラエルは完全に回復されるのです。
●イエス様が世界の終末を語る時、それはいたずらに信徒に恐怖心を持たせるものではありません。また、この恐怖心に煽られて落ち着きを失わせる意図は全くなかったのです。むしろイエス様が教えていることは、他の譬えにもあるように、万全の準備を整えることにあるのです。最後の勧めで、「体をまっすぐに、頭を上に上げなさい」とは、「思い煩うことなく、またこの世に未練を残すことのない様に」との勧めです。「わたしのことばは決して滅びることがありません。」とは、「状況が悪化しても、み言葉に導きを託して生活しなさい」との勧めなのです。