マタイの福音書23章-3

マタイの福音書23章-3(23:37~39)
=本章の内容=
❸イエス様の嘆き
=ポイント聖句=わたしはおまえたちに言う。今から後、『祝福あれ、主の御名によって来られる方に』とおまえたちが言う時が来るまで、決しておまえたちがわたしを見ることはない。(23:39)
=黙想の記録=■都市の名前を挙げイエス様が嘆かれた箇所は2か所で、「マタイ11:21」とこの箇所です。エルサレムは古から古代ユダヤの中心地、民族の心の拠り所でした。23章2で父なる神様の怒りの裁きについて触れましたが、ここに表現された嘆きの言葉は、直接的には宗教指導者に向けられているものです。ここでイエス様の嘆きの言葉は、旧約聖書の各所から引用したものと思われます。
①「エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者よ。わたしは何度、めんどりがひなを翼の下に集めるように、おまえの子らを集めようとしたことか。それなのに、おまえたちはそれを望まなかった。」
・「預言者を殺し、石で打つ」とありますが、マタイ23:35で、「アベルの血からザカリヤの血」とありますが、これはユダヤ教では「最初から最後までの殉教者」を意味しています。実際に、列王記第一18:4ではイゼベルが主の預言者を虐殺したという事実があります。
・「めんどりがひなを集める」という言葉は聖書に出てきません。鶏を飼っていれば、よく目にする光景でした。「翼の下」はルツ2:12に最初に登場し、以降、「父なる神の庇護の下」を表現する言葉です。
②「見よ。おまえたちの家は、荒れ果てたまま見捨てられる。」実際に西暦70年にエルサレムを巡って起こったローマ軍による攻囲戦はとても悲惨なものでした。この攻囲戦当時の神殿はヘロデ大王の築いた第二神殿であり建設後90年ほどたっていました。ユダヤ人の度重なる反攻に怒り心頭となったローマ兵が、ティトゥスの命令を破って神殿に隣接する区画へ火を放ち、それが神殿全体に広がったとされています。さらにこの攻囲戦では110万人のユダヤ人が虐殺されましたが、政治の中枢にいた宗教家はもちろん、逃げ遅れた多くの婦女子を含むユダヤ人民衆がいました。その後、エルサレムはローマ植民市アエリア・カピトリナとして再建されましたが、国家の体をなしていません。また多くのユダヤ人が離散していきました。
③「わたしはおまえたちに言う。今から後、『祝福あれ、主の御名によって来られる方に』とおまえたちが言う時が来るまで、決しておまえたちがわたしを見ることはない。」
「祝福あれ、主の御名によって来られる方に」は詩篇118篇26節の言葉です。ここでイエス様が詩篇118篇を引用されたのには意味があります。この箇所には、以下のことが同時に記されています。
① 諸国によって包囲されること(118:10)
② 義の門・主の門が開かれそこから栄光の主が入ってくること(118:19~20)
③ 捨てられた石のこと(118:22)
「決しておまえたちがわたしを見ることはない。」とは、イエス様が処刑されてから再臨の日まで、そのお姿をじかに見ることがないということです。ところがこの言葉には、一度死を経験なさるイエス様は必ず復活し、神の子としての権威を携えて再びこの地を踏むことをも意味しています。