マタイの福音書22章-2
マタイの福音書22章-2
=本章の内容=
➋税金➌復活論争
=ポイント聖句=彼らは、「カイザルのです。」と言った。そこで、イエスは言われた。「それなら、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」(22:21)
=黙想の記録=●「王子の結婚」の譬えはマタイの福音書にあるだけです。「王」「王子」と登場人物をわざわざ分けています。ここで「王」は「父なる神」、「王子」は「子なる神」とするのが自然です。前述し他ことがありますが、ユダヤの結婚式は身内だけの「結婚式」と周囲の人々を招いての「披露宴」に分かれています。しかもここでは「花嫁」は登場していません。予め招待されても参列しなかった人々は宗教指導者等の特権階級の人々、大路で出会った人々はその他のユダヤ人全員を指していると思われます。招待を拒んだ指導者たちはその後、町ごと滅ぼされる運命にあります。その後、ローマ軍侵攻により、祭司以下の指導者はほぼ虐殺され、エルサレムは壊滅します。大路にいた人で礼服を着衣していなかった人々は外の暗やみに放り出される運命にあります。ユダヤ人と言うだけでキリストの救いんと言う礼服を着衣していなければ、宴会には残れないどころか、御国に入ることができないのです。
●カイザルのものはカイザルの話です。ユダヤ人には銀貨以上の鋳造は認められていません。銀貨を使う場合、ローマ帝国自らが発行している皇帝の肖像入りの銀貨を使用するしかなかったのです。しかも神殿税の支払いの時は、「カイザルの刻印のない硬貨」で納められていました。つまり神殿では両替と言う行為があった訳で、ここで得た収益はそのままサドカイ人の懐に入りました。「カイザルへの納税」の是非を尋ねた理由は、仮に「皇帝に納めるべきではない」と答えれば「反逆罪」として告訴できます。また「皇帝に納めるべきだ」と答えれば、ローマからの独立を期待していた民衆の気持ちを絶望させることになるのです。「デナリ銀貨を持ってきなさい」のイエス様の要求に、律法学者、祭司長たちは懐にあったデナリ銀貨を提示してしまうのです。ところがこの単純な応答は第一に指導者たちは、銀貨を日常的に使っていたことを表し、民衆からかけ離れた、ローマの庇護のもとに生活していること、第二に皇帝の肖像画と「神君」刻まれている硬貨を所持していたことを表し、すでに偶像礼拝を容認していること、第三に躊躇なく平然と銀貨を所持していることは貧しさにあえいでいる民衆のことを少しも気にかけていない様子を暴露してしまうことになるのです。
●サドカイ人質問には、申命記25:5~10にある「兄弟のやもめになった妻の規定(レビラート婚)」を利用してイエス様を貶める意図があったのです。「兄が死んだ場合は家督を継ぎ世継を残すために兄嫁と結婚しなければならない。律法は一夫一婦制と規定しているが、復活があるなら七夫一婦となり矛盾を引き起こす。だから復活は律法にそぐわない。」と言いたかったのです。しかし、すでにこの考えには矛盾があるのです。それは、「兄が亡くなって、弟が再婚した場合、その妻は兄の妻ではなく、弟の妻となるのです。7人と婚姻していたことは事実ですが、事実上最終的には7人目の弟の妻となるのです。律法を知り抜いているはずの彼らはこの矛盾に気づいていないのです。さらに、妻の規定も表しているように、契約は当事者が生きているときには有効ですが、死んでしまえば無効となるのです