マタイの福音書22章-1

マタイの福音書22章-1
=本章の内容=

➊王子の結婚

=ポイント聖句=

そこで、王はしもべたちに、『あれの手足を縛って、外の暗やみに放り出せ。そこで泣いて歯ぎしりするのだ』と言った。(22:13)

招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。(22:14)

=黙想の記録=

●この物語の登場人物は、①王子②王③招待した客④しもべ1⑤しもべ2⑥兵隊⑦大通りにいる人々(1)礼服を着用している人(2)礼服を着用していない人の8種類。ところで婚礼のはずなのに登場してこないのは花嫁。21章に引き続き、ここでこの物語を聞いている人々は、祭司長・律法学者たち・弟子たち・群衆です。
●そこで、花嫁をまだ「奥義」の存在であった「教会」とするならば、①~⑦(2)までの人々を次のように見立てるのはどうだろうか。
①王子:子なる神
②王:父なる神
③招待した客: 各王朝時代の人々
ここで招きを拒否した人物達の行く末が、王による徹底した報復であることが期されている。「人殺しどもを滅ぼし、町が焼き払われた」とある光景は、捕囚期の様子を表現していると思われる。
④しもべ1:旧約の族長やモーセ、そして捕囚期前後の各預言者
⑤しもべ2:バプテスマのヨハネとイエス様の弟子たち
⑦(1):イエス様をメシヤと受け入れた当時のユダヤ人たち
⑦(2):イエス様をメシヤと拒否してしまった祭司長・律法学者
・ここで礼服を着ていなかった人物が「外の暗闇で、泣いて歯ぎしりする」光景は、ラザロと金持ちのハデスに追いやられた金持ちの状態に似ている。
・ここで使われる礼服はギリシャ語でgamos・endyma(ガマス・エンデマ)で日本語訳は「結婚式に着用する式服」となる。つまり、自分流の普段着ではいけないことになる。つまりこの人は、この特別な婚宴に際し、普段着を着て来ることで、婚宴を軽々しく見ていたことが分かる。この様子は、聖書全体が子なる神の救済を表現していたにもかかわらず、祭司長・律法学者達は、聖書を自己都合に合わせて解釈していることを表現したものではなかろうか。ポイント聖句にあるように祭司長律法学者たちは自分こそ神に選ばれしものという大きな錯覚に陥っていた。
祭司長・律法学者たちは歴史から学ぶことをしなかっただけでなく、父なる神様の慈愛に満ちた聖書を、自分の生活の糧としての道具の様に利用していた。この姿を父なる神がどう思われているのかを『あれの手足を縛って、外の暗やみに放り出せ。そこで泣いて歯ぎしりするのだ』(22:13)の言葉から察しなければならなかった。