塩気も油も劣化する?

2024年6月29日

なるほどTheBible2022/10/17
=塩気も油も劣化する?=
【参照聖句】あなたがたは地の塩です。もし塩が塩気をなくしたら、何によって塩気をつけるのでしょうか。・・・あなたがたは世の光です。・・・マタイの福音書5章13・14節(新改訳2017)
🔴この聖句は山上の説教の一部です。ここでは神の国の住民の特質が周囲の人々にもたらす影響力について語られたものです。また当然の様に劣化してしまう信仰をどう再生させるか述べられたところでもあります。
💚「地の塩」とは死海の岩塩のことです。塩分濃度が3%しかない海水に対して、死海の塩分濃度は30%です。さらに死海に含まれているマグネシウム、カルシウム、ナトリウムといった天然ミネラルが一般の海水の約30倍含まれているとも言われています。そのため塩水に含まれる、天然ミネラルや塩分の持つ殺菌・腐敗防止効果によって、皮膚病や皮膚炎、リウマチなどに良い効果をもたらすことが研究されています。約4000年も前から死海の塩水は生命維持と癒しの源として、現地の人々の生活を常に支え愛されてきたのです。これを踏まえて「地の塩」を考えると、塩気は私達の信仰の特質である「肉欲からの聖化」「永遠のいのち」を表現したものとは言えないでしょうか。また「人々に踏みつけられるだけです」の表現から塩気は「他者への影響力」を現わしています。逆に言えば、この特質を取得することなしに周囲の人への影響力はないと言えるのです。残念ながら塩気は潮解作用(空気中の水分に溶ける現象)によって失われていくものです。特に死海の岩塩は潮解が起きやすいものです。私達の信仰も悪魔の支配する世にあってはこの世に同化(潮解)しやすいものです。この為、信仰も「塩気を取り戻す」必然性があるのです。潮解した塩を元に戻すには「火で加熱する」ことが一般的な方法です。イエス様ご自身も「塩気を取り戻す方法」を「火によって(マルコ9:49)」と説明されています。基督者にとっての「火」とは父なる神様が絶妙なタイミングで予め用意されている人生の「試練(ペテロ第一1:7)」のことを指しています。そのタイミングを私たちは予知できません。もっと突っ込んだ言い方をすれば「試練に合うことなしに塩気は付かない」のです。試練は個人単位だけではなく教会単位でも与えられるものです。
💚「世の光」の「光」とはもともと油を使った燭台(ランプ)を使った比喩です。燭台に注がれた油に燈芯を入れ、その燈芯に火を付けてあかりとするものです。燈芯がなければ明かりとなりません。この燈芯とは「私たち与えられたそれぞれの信仰(の確信)のことです。また油は「聖霊によって与えられる新しい生命力」のことです。聖霊の力は信仰生活のあらゆる場面を照らしています(現わされます)。しかし、油も劣化することがあります。劣化した油は光の勢いが失われていきます。私達の信仰も人間関係を含む様々な環境・状況によって不純物が混じって劣化していきます。ですから日々「聖霊による再生と刷新の洗い(テトス3:5)」が必要です。再生と刷新とは日々の神様との交わり(=デボーション)(ルカ24:32)であり、時には試練(ペテロ第一4:12~14)のことを指しています。世の光は手元を強く照らすことができれば、遠くまで照らすことができるのです。自分にうちに潜む悪習慣を照らしそれを処置することなしに、他者の光とはなれないのです。また、身近な家族に光をもたらせなければ不特定多数の人々に光が届くはずがないのです。