最新情報

似て非なるもの。サタンの攻撃と神様の試練

2024年6月29日

なるほどTheBible2022/10/10
=似て非なるもの。サタンの攻撃と神様の試練=
【参照聖句】さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。マタイの福音書4章1節(新改訳2017)
●この聖句を含むこの個所は、イエス様が「真のメシヤ=神の子」であるかどうかを悪魔に対して実証されたところです。1節で使われている「試み」はギリシャ語でパイラッゾ、英語ではbe tenptedで「誘惑」を意味しています。新改訳では「試み」、共同訳では「誘惑」ですが、説教のタイトルは「悪魔の誘惑」が多く、「悪魔の試練」はほぼ見つかりません。サタンが関与し、神様の御心に反する様に貶めることを「誘惑」と呼び、基督者を真に用いるための訓練を「試練」と呼ぶことが多い様です。ところで、信仰初心者の場合、また信仰の発展途上の場合、こうした区別があるのにも拘わらず私たちに向かってくる「災い」をすべて「神様からの試練」と決めつけてしまう傾向があるようです。
●「悪魔の試みを受けるため」の後に「御霊に導かれて」と続きます。これをそのまま我々基督者に適応するのは如何なものでしょうか。しかし、ここでは、サタンが知り尽くしている「人間の弱点」やそれに対して「イエス様がどう対処するか」を知ることは私達の信仰生活のガイドにもなります。ルカ22:31では「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。」とあるように、サタンの攻撃は「私たちの信仰生活にとって不要な肉の欲を指摘し削ぎ落すのに必要なプロセス」と言えないでしょうか。放蕩息子が父の本当の姿を知る上で、誘惑に身を任せ、放蕩な生活をくぐってきたことにも類似しています。しかし、この試みも、それがどんなに激しい物であっても、私たちを「ふるい」から振るい落とす為ではないことを肝に銘じておきましょう。