マタイの福音書2章

マタイの福音書2章
=本章の内容=
➊東方の博士たちとヘロデ➋ヨセフの判断とナザレへの道
=ポイント聖句=そして、ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちを通して「この方はナザレ人と呼ばれる。」と言われた事が成就するためであった。(2:23)
=黙想の記録=●イエス様の誕生の記録は、ルカ2章と本章ではだいぶ趣が異なります。マタイは「ユダヤの王」をテーマに書いています。本章に何度も出てくるヘロデ王は、ユダヤの王ですが、イドマヤ人(エドム人)であり、メシヤが誕生すると約束されていたユダ族ではありません。東方の博士たちの言動はとても奇異な感じがしませんか。今、目の前にはユダヤの王ヘロデがいるのにも拘わらず、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか」と尋ねるのです。「無礼者。ユダヤの王を前にして何をいうか」ということで、即座に首を刎ねられてもおかしくないのです。しかし、東方の博士たちは、東方の王たちの命で来たと思ったヘロデは、迂闊に手が出せません。ヘロデの王位は、ユダヤ人全体の総意ではなく、ローマ皇帝に任命を受けて付いたものだからです。ヘロデの狼狽ぶりが目に見えるようです。もとからユダヤ人とその宗教に関心がなかったため、急いで情報を集め、博士たちに対応します。博士たちもヘロデの顔色を伺い戸惑いながらも旅を続けます。エルサレムからベツレヘムは10km。すぐにでも行動を起こしていいはずなのですが、彼は「メシヤの誕生」など単なる神話くらいにしか思っていなかった様です。そうでなければ、博士たちの先回りをし、自分にとって脅威となるものを排除していたことでしょう。ですから、博士たちを自由にさせたのではないでしょうか。また博士たちの政治的背景を恐れ、彼らがユダヤから去った後で、事を起そうとしていたものとも思われます。ところが、博士たちをいくら待っても王宮に再び戻って来ないことに腹を立てます。それは、ユダヤの王である自分を無視したからです。
●信仰なしで考えるのなら、イエス様の誕生はヨセフにとって相当な悩みの種であったでしょう。いいなずけであっても正式な結婚式を挙げる前にマリヤが妊娠してしまっているのです。こんな破廉恥なことを世間は赦すはずがありません。彼の親族は婚姻解消を強く迫っていたことでしょう。さらに、世間は冷たい仕打ちをしたことでしょう。羊飼いや東方の博士が訪問してくるまで、重圧が彼を襲ってきたことでしょう。これは推測ですが、マリヤの親族に当たるバプテスマのヨハネの父ザカリヤやエリサベツから特別な言葉をもらっていたかもしれません。それにしても、ヨセフが黙々と主の命令に従う姿は学ぶところです。東方の博士の来訪を受け、ヨセフはどれだけ肩の荷が下りたでしょうか。どれだけ嬉しかったことでしょう。これからは迷うことなくマリヤと一緒に生活できるのです。他人が何と言ってきてもです。こうした確信が今後のヨセフの行動に迷いをなくしていきます。彼はエジプトに身を避け、そして戻って来ます。しかし、考えても見てください。親族からも友人たちからも歓迎されていなかった貧しい彼らにエジプトへの往復旅費や滞在費をどうやって工面できたのでしょう。容易に考えられることは、博士たちが持参した贈り物こそは、彼らの旅費の為に用意された物だったのです。父なる神様のお膳立ては完璧だったのです。
●サタンはヘロデを通し幼児虐殺によりメシヤの抹殺を図るのですが、サタンさへもこの時イエス様を抱えて旅行するヨセフ一行の様子を把握することができなかったのです。父なる神様はこうしてご自身の御翼の陰によって、人々をサタンの攻撃から隠し守る方でもあるのです。
●エルサレムではヘロデが建立した神殿での宗教活動が中心でした。様々な捕囚経験を経て、神殿礼拝ができなくなると、各地にシナゴーグが建築されていきます。そして、その多くはガリラヤ地区に集中していました。このナザレかあるいは近隣都市のシナゴーグがあったと推測されます。当時のユダヤ教の教育は徹底していました。3歳から5歳までヘブル語の読み書きは両親特に父親が熱心に教えることになります。また6歳から12歳まではシナゴーグ内にある教育機関(寺子屋のようなもの)で聖書の学習をします。旧約聖書の暗唱が主な学習内容ですが、教師や親から聖書をもとにした処世術も教え込まれました。ユダヤ人の教育熱は当時から相当なものだったわけです。