マタイの福音書1章

マタイの福音書1章
=本章の内容=
➊イエス様の系図➋イエス様誕生の次第
=ポイント聖句=アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図。(1:1)
そして、子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく、その子どもの名をイエスとつけた。(1:25)
●著者はマタイ。9:9によればローマ人の手先となってカペナウムで収税人になっていた人物です。そのため民衆からは毛嫌いされ、律法学者たちからは軽蔑され続ける職種でした。伝承ではエチオピアまたはペルシアで殉教したとされています。この福音書はAD85年以前に書かれたものと言われています。
●福音書にはそれぞれ対象となる読者がいます。マタイはユダヤ人向けに、マルコはユダヤ人以外の異邦人向けに、ルカはギリシャやローマ人の知識人向けに、ヨハネの福音書は時系列で書かれておらずまた神学的な言い回しが多いことから、当時の世界に広がった教会向けに書かれたものと思われます。マタイの福音書がユダヤ人向けに書かれたことは、1章の系図や、旧約聖書からの多様な引用にその証拠があります。
●1章にあるイエス様のこの系図についてですが、マタイは1章冒頭から系図を記載していますが、ルカは1・2章で誕生の次第を述べ、3章の途中から系図がスタートしています。マタイがイエス様の系図をいかに重視しているかが分かります。また、マタイはアブラハムを祖とするところから系図が始まります。これが意味するところは、「イエス様がダビデから綿々と続く、ユダヤ王家の正統な相続人であり『約束のメシヤ』である」ことに拘っているところです。マタイの福音書がユダヤ人対象に書かれたことがここからも汲み取ることができます。ところがルカの系図はアダムつまり人類の祖にまで遡る(さかのぼ‐る)壮大なものですが、3章の途中から始まることも含めあまり重視されていません。これが意味するところは、ルカが当時世界を席巻していたローマ人対象に記述することで、「イエス様がユダヤ人だけのメシヤではなく、全人類にとってのメシヤであること」を強調していたことが容易に理解できます。
●ところで、見落としがちなポイントが1つあります。それは、ヨセフは義父ではありますが、実父ではないことです。「ふたりがまだいっしょにならないうちに(1:18)」「処女が身ごもっている(1:23)」そしてヨセフは「子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく(1:25)」とあるように、メシヤの誕生は、「人間の営み」によるものではなく、「神の業」であることを強調していることです。
●この系図には、女性が5人出てきます。一人はマリヤですが、他にタマル(創世記38章)、ラハブ(ヨシュア記2章)、ルツ(ルツ記)、ウリヤの妻(バテシャエバ)(サムエル第二11章)の4人が登場してきます。ところで、それぞれの章を読み進んでいくと、これらの女性たちはとても尋常な女性とは言えません。タマルはユダの長子エルの妻でしたが、彼女の策略により、義父ユダの子供を産んでしまうのです。ですから、この二人の子供は、法を無視しているのです。さらに、ラハブは娼婦であり、ルツは異邦人、バテシャエバはウリヤの妻でダビデとともに姦淫を犯したことになります。そもそも、それではなぜマタイはこの立派な家系図にこのような女性たちを登場させたのでしょうか。ユダヤ人が正当と信じ込んできたメシヤの系図は実は「血まみれ・泥だらけ」であることを強調したとはいえないでしょうか。しかし、マタイは、さらに1章25節で「マリアは処女であった」ことを追記しています。それは聖霊なる神様によって、父なる神様が「人類に新鮮そして神聖な血筋を組み入れた」ことを主張したものと言えます。
●福音書にはそれぞれ対象となる読者がいます。マタイはユダヤ人向けに、マルコはユダヤ人以外の異邦人向けに、ルカはギリシャやローマ人の知識人向けに、ヨハネの福音書は時系列で書かれておらずまた神学的な言い回しが多いことから、当時の世界に広がった教会向けに書かれたものと思われます。マタイの福音書がユダヤ人向けに書かれたことは、1章の系図や、旧約聖書からの多様な引用にその証拠があります。