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クレネ人シモンは大富豪だった

2024年7月4日

《なるほどThe Bible》2022/12/10
=クレネ人シモンは大富豪だった=
[参照聖句]兵士たちは、通りかかったクレネ人シモンという人に、イエスの十字架を無理やり背負わせた。彼はアレクサンドロとルフォスの父で、田舎から来ていた。マルコの福音書15章21節
🔴十字架を無理やり背負わされたクレネ人シモンのイメージは黒人奴隷といつのまにかインプットされていませんでしたか。クレネ人シモンのイメージが覆されますよ。
🔴他の福音書では「いなか」と表現されているクレネ(キュレネ)ですが、古代ギリシャ都市クレタ島の南南西、現リビア領内にあったギリシャ五大都市の中で最大・最重要を誇った港湾都市で、おおよそ「いなか」のイメージではありません。このクレネは、バビロン捕囚の際、離散したユダヤ人が辿り着いた先です。つまり、ここに出てくるシモンは、ユダヤ人で、エルサレム巡礼(クレネ・エルサレム間約1000km:一日40kmのラクダで25日程度)が出可能な人物。この程度の大規模旅行には付き人も何人のいたはず)ができるほどの資産家でさらに信心深い人物であったと想像できるのです。マルコによれば、彼は、アレキサンドロとルフォスとの父。ルフォスはローマ人への手紙(16:13)中に出てくるパウロの同労者です。この点からもシモンが資産家でなければパウロへの相応の支援はできなかったと容易に想像できるのです。と言うことは、エルサレム巡礼に来ていた人物でクレネ独特の民族衣装を着けて目立っていた人物がシモンであったはずです。兵士は偶然彼を見つけたわけではなく、エルサレム以外で事業を成功させた「成金」を辱めるために彼を選んだとは言えないでしょうか。こう考えると、シモンにとっては十字架を担うことは、より屈辱的な出来事となるのです。しかし、ここでシモンはイエス様の十字架を背負うことに反論をしていません。兵士に対して袖の下を差し出せばその場から逃げ出すこともできたはずです。黙々と背負っていく姿は、何を私たちに教えているのでしょう。聖画で表現されているような貧相な服装ではなく富裕者であると一目でわかるほどではなかったのではないでしょうか。生粋のユダヤ人から見れば、シモンは嫉妬の対象。ゆえに官憲がシモンを辱めるためわざと選んだのではないでしょうかな。
シモンはわが子たちに確かに確実な信仰を継承できたといえます。信仰の継承はこの世の力によっては起こりえません。こうしたキリストにある辱めの経験を子孫が目撃する時にこそ行われるものと推測できるのです。