マルコの福音書15章

マルコの福音書15章
=本章の内容=

❶ピラトの裁判❷ゴルゴダまで➌十字架刑❹埋葬

=ポイント聖句=

そして、三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と叫ばれた。それは訳すと「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。そばに立っていた幾人かが、これを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる」と言った。(15:34~35)

=黙想の記録=

●この個所は詩篇22:1の引用とされています。「エロイ、エロイ(マルコ)」はアラム語、「エリ、エリ(マタイ)」はヘブル語、「ラマ、サバクタニ」はアラム語とされています。旧約はもちろんヘブル語で「エ―ロ・エ―ロ・アザヤーブ・ラホーク」です。イエス様がアラム語を使っていたかは定かではありません。福音書記者特にマルコとルカは伝承、つまり人からもらったメモをもとにして編集したものと思われます。イエス様当時は、出生されたガリラヤは東西貿易の要でもあったので、国際色豊かな所で、エルサレムよりもアカデミックな地域でした。バビロニアから帰還したユダヤ人はアラム語を、他にギリシャ語やラテン語も使われていました。十字架のイエス様の頭上に貼り付けられていた標章はヘブル語・ラテン語・ギリシャ語でした。
●イエス様が十字架上で詩篇22篇を諳んじていたとすると、これは全てヘブル語で、メモを取った人間が自国語で聞き取ったということになるわけです。この叫び声が「エリヤ」と聞こえるとすると、やはり「エリ(ヘブル語)」だったとは言えないでしょうか。ここでイエス様は主なる神を「父」とは呼んでいませんでした。自己を罪人とし、神の裁きを受けている状態にいることを宣言なさっていたとは言えないでしょうか。あるいは十字架の下にいたわからずやの宗教家たちに十字架の意味を説明したかったのではないでしょうか。これをか細い人間の「弱音」と解釈するのには、個人的に我慢ならないところです。最後の最後まで、イエス様はみ言葉に突き動かされ、み言葉を成就することだけが関心事項であったとはいえないでしょうか?