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マルコの福音書14章

マルコの福音書14章
=本章の内容=

❶ナルド油②イスカリオテ・ユダ❷種なしパンの祝いの準備➌ユダの裏切り❹パンと杯❺ペテロの裏切りの預言❻ゲッセマネの祈り❼イエス様の捕縛❽カヤパの家でのイエス様とペテロ

=ポイント聖句=

ペテロは、遠くからイエスのあとをつけながら、大祭司の庭の中まで入って行った。そして、役人たちといっしょにすわって、火にあたっていた。 (14:54)

=黙想の記録=

●盛りだくさんの内容が取り上げられていますが、その中からペテロの様子をピックアップしました。「火にあたっていた」の火は「炭火」で、本章で2回、ヨハネ21:9に1回出てきます。旧約聖書では「炭火」は「神の燃える怒り」を表現するものでした。大祭司カヤパのところあった炭火は体は多少温まりましたが、「イエスの弟子」であると、いつ発覚してしまうかもしれない恐ろしさに心には冷汗が出ていました。「共に死にます」と決意を表明したペテロはどこにいるのでしょう。ペテロがイエス様ご自身を否むことをイエス様はご存じでした。それでも、この意気地なしの男に神の業を託そうとされることに感動しませんか?
●おおよそ「人間の決意や決心」は三日坊主で胡散霧消することが多いのです。基督者もその御多分に漏れません。「今日から、あの人のことを愛情をもって接してあげよう」とか「今日からもっと伝道しよう」とか「今日からもっとみ言葉を読もう」とか。誰も出発点は同じでも、途中で挫折してしまう基督者のなんと多いことでしょうか。それはあなたが「あなたの心・その時の気分」に従ってきただけで、最初から「神様の御心」ではなかったのかもしれません。またあなたが「信仰の基本が出来上がっていない」のに「高望みや背伸び」をしていたからかもしれません。あるいは神様の御心と正反対のことをしていたのかもしれないのです。何度もお勧めしていますが、日々に神様と交わることが習慣化されないのでは信仰の成長も神様の御心を完遂することも叶うはずがないのです。
●ところでこんな意志薄弱な私たちを、何度も失敗を重ねる私たちのことを、主は否まれているでしょうか。始めからすでに弱さを身に纏うあなたの全てを見抜いておられます。それでもご自身の業の完遂の為、私たちを召し、さらに用いようされることは驚嘆に値しませんか?この神様の忍耐と憐れみを知らずに行動しようとするから失敗するのです。あわただしい生活を強いられる現代基督者に一番欠けているのは「待機する(忍耐する)」こと、とは言えないでしょうか。