マルコの福音書11章

マルコの福音書11章
=本章の内容=
❶ロバの子に乗ってエルサレム入城❷いちじくの木➌宮清め❹信じること祈ること赦すこと❺何の権威によって
葉の茂ったいちじくの木が遠くに見えたので、それに何かありはしないかと見に行かれたが、そこに来ると、葉のほかは何もないのに気づかれた。いちじくのなる季節ではなかったからである。(11:13)
=黙想の記録=●イエス様の最後の一週間の記録の最初の部分です。エルサレムへの入城は四福音書全てに記載されてます。②いちじくの木の事件はマタイとマルコにだけありますが、マルコはこの部分を特に長く記述しています。マルコではイエス様が命じられてから約一日経過して枯れているのが見つけられます。
●イエス様がエルサレムに入城されたのはニサンの月(3~4月)つまり春です。一般的に実が熟すのは夏(6~7月)と秋(8~10月)の二回で、春になるのを「初なり」と呼びます。ある方のご説明では、甘未があまりなく小さいのがこの初なりで、主に農夫たちが食し、これをもぎ取らないと、夏秋に大きな実がならないのだそうです。このいちじくの木は、律法学者たちをさしているという説明もあります。今イエス様が見ているいちじくの木は「葉っぱばかりが目立ち、実のならない不良品のいちじく」だったのです。つまりイエス様は時の律法学者が自分を大きく見せることに努力を傾けるものの、イスラエル人にメシヤに対する信仰と言う実をつけさせることができていない状態を非難されたものだそうです。
●「はったりをかます」という俗っぽい言葉があります。相手より有利に見せようとして、普段の自分より大きく見せることですね。基督者には無用の言葉です。なぜなら次の聖句が根拠だと確信しているからです。
●しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。 (コリント第二12:9~10)