マルコの福音書6章
マルコの福音書6章
=本章の内容=
❶故郷では敬われない❷十二弟子の派遣➌首を刎ねられたヨハネ❹男だけで五千人の給食
=ポイント聖句=王は非常に心を痛めたが、自分の誓いもあり、列席の人々の手前もあって、少女の願いを退けることを好まなかった。そこで王は、すぐに護衛兵をやって、ヨハネの首を持って来るように命令した。護衛兵は行って、牢の中でヨハネの首をはね、その首を盆に載せて持って来て、少女に渡した。少女は、それを母親に渡した。(6:26~28)
=黙想の記録=●本章の内容は「」です。56節及ぶ長文の章です。その中でもマルコが最も長く表現したのが③首を刎ねられたヨハネです。考えてみると、人の命が「宴会の余興」として取り扱われている箇所です。「ヨハネの首」というタイトルで描かれた絵画が数多くあります。いずれの絵画もおぞましい光景に目を覆いたくなりますが、ヨハネの頭髪をぎゅっとつかみ上げているのは、ドレスを身にまとっているサロメです。俗な言い方ではストリップで宴会の主役となり、ヘロデ以下宴会に出席していたすべての男性の衆目を浴びていたようです。自分の兄である前王を殺し妃(ヘロデヤ)を奪い今の座に就いたヘロデですがサロメは実子ではありません。「おまえの望む物なら、私の国の半分でも、与えよう」とヘロデが言ったのは、サロメに特別な感情を持っていたからです。もともと国の半分は、本来妃となったヘロデヤにこそ、その権利がありました。しかし、ヘロデの関心は自分ではなく娘です。単にヘロデとの関係を暴き攻め立てているヨハネが邪魔だけではなく、娘サロメに対する王の関心を断ち切るために「ヨハネの首」とサロメに言わせたのです。・・・以上は私の想像です。・・・王家のドロドロした人間模様に対し、ヨハネの清廉潔白さや潔さが際立って見えるところですね。
●どんな地位にいる基督者でも、どんな権限を持っている基督者でも、罪人のひとりには違いありません。しかし、まだ肉の性質を脱ぎ捨てるのを良しとしない基督者がいるのなら、どんな高いところにいても、悪魔はいとも簡単に引き摺り下ろすことができるのです。恵まれた環境や状況は神様から与えられたもの。その恵みを分かち合うことを忘れるのが肉の性質の一つなのです。