魂の癒し

なるほどTheBible2022/09/26
=魂の癒し=
【関連聖句】イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に「子よ、あなたの罪は赦された」と言われた。マルコの福音書2章5節新改訳2017
💙病気としての中風を治療するだけの行為なのに何故イエス様はわざと大袈裟に「罪は赦された」と言ったのでしょう。しかも揚げ足取りに命をかけている律法学者の面前で。不思議に思いませんか。この個所は「中風の人を抱えて連れてきた人々の熱心な信仰」をクローズアップするだけでいいのでしょうか?
💚「癒す」とは、「病気や傷をなおすことや苦痛や飢えなどをなおしたりやわらげたりする」と言う意味があります。イエス様の癒しは完治させることで、痛みを和らげるだけの中途半端な行為ではありませんでした。
💙この2章は律法学者達との律法論争が一貫したテーマになっています。冒頭の中風の人の癒しの事件は、「罪と赦し」が争点です。律法学者も含め殆どのユダヤ人にとって律法は「生活を律する為、または何が違反行為なのかを告知する為」だけのものでした。本来これらの律法はユダヤ人を保護しようとする為に父なる神様が用意された慈しみ言葉の数々です。しかし彼らはそんな風には微塵も感じていませんでした。律法学者達にとって神は「裁く神・怒る神」であっても「慈しみに富む養育者としての父」としての存在ではなかったのです。
💙奇しくも律法学者は「この人は、なぜこのようなことを言うのか。神を冒瀆している。神おひとりのほかに、だれが罪を赦すことができるだろうか。」(マルコ2:7)と言ってのけるのです。とどのつまり彼らはこの慈愛の神を「有罪無罪を判定する裁判官」としかみていなかったのです。
💚イエス様は無意味に癒しの奇跡をなさいません。中風の人を癒すこと完治させることで、律法学者達をはじめそこにいる面々に、次のことを諭す為でした。それは「罪が赦されるとは腐りかけた魂が完治すること」「慣習に束縛されるのではなく、新しい命を成長させること」「切り離すことではなく、神様が与える命に繋げること」でした。