ルカの福音書23章-1

ルカの福音書23章-1
=本章の内容=
➊不当な裁判
=ポイント聖句=ヘロデは、自分の兵士たちといっしょにイエスを侮辱したり嘲弄したりしたあげく、はでな衣を着せて、ピラトに送り返した。(23:11)
=黙想の記録=●「ヘロデとピラトは仲よくなった」(23:12)とありますが、ギリシャ語で「ゲノマイ・フェラス・メタ―」「互いに友達(仲間・花婿の友人)になった」との意味です。この表記からも分かるように異民族同士であったが利害関係が一致したので友人以上の関係になることができたのです。
●裁判後半に、「しかし彼らは、声をそろえて叫んだ。」(23:18)とありますが、ギリシャ語で「アナクラゾウ・パンプリサァイ」で「声をそろえて喉の奥から叫び声を上げて叫ぶ」いう意味になり、どれだけ激烈であったか想像ができます。サンヘドリンは、多勢を占める「祭司グループ(サドカイ派)」と「律法学者(パリサイ派)」と「一般人」から構成されていました。こちらも互いに反目しあっていたグループが、目先の利害関係のため、一時的な一致を見ることが出来たのです。
●イエス様への訴状は以下の四点です。①国民のローマへの敵対心を誘導している②皇帝カイザルへの税金拒否③自分を王・またはキリスト(救世主)と自任している④ユダヤ全土で国民を扇動している。しかし。そんな活動をしていた証拠もうわさもピラトに届いていなかったのです。彼の元への報告は、一般民衆の絶大な人気を集め、彼らの心を掌握していたというものです。ユダヤの僅かな特権階級は既に一般民衆から乖離していた事を知り、このイエスの人心掌握術こそ、今のピラトには必須事項と思えたのです。裁判は何とかイエスと組みしたいと願う時間稼ぎに過ぎませんでした。これはヘロデアンティパスも同様だったのです。
●ところが、殺生与奪の権を持つ彼ら二人の前であっても、イエス様は、命乞いの為に彼らに取り入ることもせず、毅然とした態度で臨んできたのです。二人の懐柔工作は失敗し、イエス様を「利用価値無し」と決めて付けてしまいます。口を開かない、いわば自分を侮蔑しているかのようなイエス様の態度に怒りを発したアンティパスは、ずたずたに傷つけられている体に王衣を着せることで、侮蔑を返したつもりでいたのです。イエス様に好奇心を抱いたとしても「救い」に至る真理の追究ができなかったのです。ピラトは裁判という緊張した場面を利用し、イエスの心を自分に棚引かせようと苦心します。法を順守するローマ人を装い、イエスに民の前で弁明をするようにと嗾す(そそのかす)のですが、全て失敗に終わります。律法も正義も民族の誇りも見受けられない只の暴徒と化したユダヤ人を前に、法の執行者としての威厳が保てないと踏んだピラトは、イエス懐柔策を止めるのです。もし、ピラトがローマの正義を貫こうとするなら、鎮圧部隊を出してこの場にいた者達を一瞬にして取り払うことはできたでしょう。しかし、武力行為を行使した場合、ローマでの評価は地に落ち、その後の昇進への望みは絶たれるのです。ならば、たった一人の人間イエスを死刑にすることの方がリスクは少ないと踏んだのです。ピラトは僅かな特権階級の思う所にイエスを引き渡してしまいました。
基礎資料●ヘロデアンティパスは、古代イスラエルの領主(在位 紀元前4年-39年)。新約聖書時代の人物で、ナザレのイエスが宣教を始めたガリラヤとヨルダン川をはさんだ斜め向かい側のペレア(ペライア)の領主であった。ヘロデ大王はアグリッパを王位継承者にし、アンティパスをユダヤの中心地から外れたガリラヤとペレヤの領主にした。アンティパスはこれを不服としローマに報告した。だがローマに住んでいたこともあり、皇帝の息子とも親交が深かったアグリッパに先手を打たれていた。最期はアグリッパにローマへ犯行の意志ありと見なされ、妻と一緒に流刑されその地で死んだ。第二の妻ヘロデヤの陰謀でヨハネの首を刎ねた人物。かなりの政治手腕があり、町々を建設していった。その中でもガリラヤ湖近辺で温泉が湧く地域に新しく都市を作り、そこに当時の皇帝ティベリウスと命名し、属州の都として住んだ。
●ポンテオ・ピラトは、ローマティベリウス帝から第5代ユダヤ属州総督を任じられる。(在任:26年 – 36年)歴代の総督の在位期間に比べピラトはだいぶ長期であった。総督職を無事完了した暁には元老院への就任をと目論んでいたが、ティベリウス帝が死去し、次期皇帝はカリグラとなり夢は潰えてしまった。ユダヤ人に対して高圧的な政策をとり、度々武力での鎮圧を行ったことをカリグラ帝に糾弾されガリアに流される。そこで自殺したという伝承があるが定かではない。ところがその後、このカリグラ帝に取り入っていたヘロデアグリッパがまんまと、ユダヤ全土の支配権をローマ帝国から引き出してしまう。催事が暴動に至る経緯があったため当時ローマは祭司服を管理し、ユダヤ教の催事を自由に行わせなかった。大祭司カヤパとは反りが合わなかった。