ルカの福音書20章-3

ルカの福音書20章-3
=本章の内容=
➎ダビデの子➏律法学者たちに気をつけよ
=ポイント聖句=「律法学者たちには気をつけなさい。彼らは、長い衣をまとって歩き回ったり、広場であいさつされたりすることが好きで、また会堂の上席や宴会の上座が好きです。 また、やもめの家を食いつぶし、見えを飾るために長い祈りをします。こういう人たちは人一倍きびしい罰を受けるのです。」(20:46-47)
=黙想の記録=●メシヤという称号を「救済者」の意味に用いたのは中間時代のユダヤ人であり,しかも,それはダビデ系の王としての救済者を待望して用いられた称号でした。それ以前、メシヤは「油注がれた者」という意味で、特に王の即位,祭司の聖別に際して頭に油を注ぐことと関連していて旧約聖書中に39回も用いられています。「メシヤの捉えかた」は時代とともに使われ方が異なっています。第一に、イスラエル王国が継続している際には、神政政治国家イスラエルの統治者の意味です。第二に、捕囚から帰国後は、王としての支配権と同時に祭司としての役割を強調しています。あるいはこの時期には牧者というより民に近づく存在となっています。第三に、BC63年以降のローマの支配下にあっては,政治的なメシヤ待望へと一方的に変遷していったのです。
●イエス様は、サドカイ人が自ら口火を切った、アブラハム契約をさらに発展させ、キリストはダビデの家系から生まれるとの約束、メシヤの来臨の真の目的を語り始めます。メシヤは支配者であり祭司であり牧者であるが、同時に受難される方でもあることを思い出させたかったのです。詩篇110編全文を思い出させるきっかけとしたかったのです。
●本章の締めくくりは、「律法学者たちを警告せよ」と注意喚起です。他者との優位性(外観・人々からの対応・生活レベル・宗教的特権)を強調させる行為が律法学者は得意でした。。
「やもめの家を食いつぶし、見えを飾るために長い祈りをします」・・・『弱い立場のやもめの家に行って、「降りかかる禍の現況を救うための祈りをしてやる。その代わりに謝礼金をよこせ。」などの詐欺行為』、文字通り「厳しい裁きを受ける」という意味のほか、「律法学者が一般人から高い尊敬を受けることを求めているなら、神の裁きにおいても、一角上の厳しい裁きを受けるのが当然だろう」との皮肉が込められている。
●力でねじ伏せるのではなく、敵であった宗教家にも、彼らの知的好奇心を叶えながら、丁寧に旧約聖書で説明されている事柄の真意を教え諭しておられるイエス様の様子に、忍耐と謙遜さを学ばせられた。