ルカの福音書20章-2

ルカの福音書20章-2
=本章の内容=
➌カイザルのものはカイザルに➍アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神
=ポイント聖句=20:37それに、死人がよみがえることについては、モーセも柴の個所で、主を、『アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神。』と呼んで、このことを示しました。
=黙想の記録=●カイザルのものはカイザルの話です。当時為政者の肖像をコインに刻む行為はよく行われていましたが、偶像崇拝をタブーとしていたのでユダヤの君主(ハスモン朝以降の王たち)は自分の肖像をコインに入れずに名前と在位年を記す程度でした。ユダヤ人には銀貨以上の鋳造は認められていなかったので、銀貨を使う場合、ローマ帝国自らが発行している皇帝の肖像入りの銀貨を使用するしかなかったのです。しかも神殿税の支払いの時は、「カイザルの刻印のない硬貨」で納められていました。ここにローマ貨幣からユダヤ効果に両替する必要があったのです。神聖なる神殿に両替人が存在し、両替手数料を徴収していたのです。この手数料収益はそのままサドカイ人の懐に入ることになっていたのです。イエス様に対して「カイザルへの納税」の是非を尋ねた理由は、仮に「皇帝に納めるべきではない」と答えればイエス様を「反逆罪」として告訴できます。また「皇帝に納めるべきだ」と答えれば、ローマからの独立を期待していた民衆の気持ちをイエス様から引き離すことになるのです。「デナリ銀貨を持ってきなさい」のイエス様の要求に、律法学者、祭司長たちは懐にあったデナリ銀貨をあっさりと提示してしまうのです。ところが彼らのこの単純な対応は、第一に指導者たちが銀貨を日常的に使っていたことを表し、ローマから銀貨を頂戴しローマの庇護のもとに生活していること、第二に皇帝の肖像画と「神君」刻まれている硬貨を所持していたことから、すでに偶像礼拝を容認していたこと、第三に日常的に平然と銀貨を使うくらい、民衆からかけ離れた豪奢な生活をし、貧しさにあえいでいる民衆のことを少しも気にかけていない様子を暴露してしまうことになるのです。
●「カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい」が意味することは何でしょうか。カイザルのものとは銀貨のことだけを意味していません。皇帝の所有しているもの全てを表し、「銀貨を使わなくてもよい生活=、つまりローマの庇護がもたらす快適な生活」を元に戻し民衆と同レベルの生活水準に戻しなさいということを諭させているのです。またローマの権威を笠にして、生活の利得の為のユダヤ教の権威を行使することを止めなさいとも諭しておられrのです。「神のものは神に返しなさい」とは、「神殿に納める硬貨」だけを意味していません。神があたえる物全て、つまり、生活すべてのことで、「行動内容・時間・所有している物」全てを自分のものと考えるのをやめなさい。」と、諭しておられるのです。
●「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」がどうして復活の事実を説明した物なのでしょうか。その前にサドカイ人について説明します。当時のイスラエルにはパリサイ派、サドカイ派、ヘロデ党、熱心党という集団が存在していました。サドカイ派は、第二神殿時代の後期に現れ、AD70年のルサレム神殿の崩壊と共に姿を消したユダヤ教の一派です。レビ族アロンの家系で、祭司としてエルサレム神殿で動物犠牲を執り仕切る宗教的指導者となりましたが、祭司選出の基準となるモーセ五書の順守だけが、彼らの生活規範だったわけですが、実際は、祭司選出の権限を持つローマ人との馴れ合いの道を歩み、うまく世渡りをしていこうとするだけの人に成り下がっていたのです。これがユダヤ社会の支配者的立場の人々だったのです。
●サドカイ人の質問には、申命記25:5~10にある「兄弟のやもめになった妻の規定(レビラート婚)」を利用してイエス様を貶める意図があったのです。「兄が死んだ場合は家督を継ぎ世継を残すために兄嫁と結婚しなければならない。律法は一夫一婦制と規定しているが、復活があるなら七夫一婦となり矛盾を引き起こす。だから復活は律法にそぐわない。」と言いたかったのです。しかし、すでにこの考えには矛盾があるのです。それは、「兄が亡くなって、弟が再婚した場合、その妻は兄の妻ではなく、弟の妻となるのです。7人と婚姻していたことは事実ですが、事実上最終的には7人目の弟の妻となるのです。律法を知り抜いているはずの彼らはこの矛盾に気づいていないのです。
●さらに、妻の規定も表しているように、契約は当事者が生きているときには有効ですが、死んでしまえば無効となるのです。ところで、アブラハム契約と言う者があります。『ロトがアブラムから別れて行った後、主はアブラムに言われた。「さあ、目を上げて、あなたがいるその場所から北、南、東、西を見渡しなさい。わたしは、あなたが見渡しているこの地をすべて、あなたに、そしてあなたの子孫に永久に与えるからだ。(創世記13章14~15節)』がそれです。ところが、アブラハムが死んだ時点では、「あなた」と「あなたの子孫」に約束された土地は与えられていないのです。与えられたのはヘブロンのマクベラ(妻さらの墓地として)のみ。つまりこの約束が果たされるまでアブラハムは生き続けていなければならない。ここが重要なポイントです。「アブラハムの神・イサクの神・ヤコブの神」と言われたのは齢80歳のモーセに向かって出エジプトの大事業を命令したときです。つまり、モーセもまたモーセの時代にも有効であった「アブラハム契約」を遂行するために遣わされたわけで、この時も「アブラハム」が生きて存在しているからこそ契約が実行されることを意味しているのです。この個所の解説の中で①「の」についての言及や②過去形の文章構造をしているとの話を見つけましたが、ヘブル語にもギリシャ義にも、「の」という助詞も、「過去形の文体」も見つからないのです。