ルカの福音書19章-1
ルカの福音書19章-1
=本章の内容=
➊ザアカイ
=ポイント聖句=ところがザアカイは立って、主に言った。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」(19:8)
=黙想の記録=●ザアカイはギリシャ語で「ザハイアス」、「義人」「きよい人」の意です。ゼカリヤと関連のある単語でヘブライ語では「主は覚えて下さる」という意味がります。ポピュラーな名前なので、旧約聖書には31人のゼカリヤが登場します。「背が低い」ことが「他者との比較=偏見=侮蔑」をもたらすことや、背が低いことが何らかの「障害が原因」ではとの推測ができます。現代の日本同様、少年期・青年期の周囲の偏見は甚だしかったと予測できるのです。
●「いちじく桑の木」いちじくの木は樹高が2m〜5mですが、いちじく桑の木ともなると15m以上にもなります。また葉が多く根の張り方が広く深くなります。姿を隠しやすい反面、他人からこの姿を見られたら笑いのネタを提供することになるのです。桑の木は①硬く②美しい年輪ができ③磨くと深い黄色になり工芸品として使われたり、薬草ともなります。この木の特徴は、ザアカイが救われた場合の新しい人となりを表現しているように思えてきます。①信念が固い②歳を重ねるごとに美しい人格となる③試練によって磨かれて貴重な存在となる。
●木に登っていることを知っていたなら「降りてこい」の言葉だけで済むのに、わざわざ、木の下まで来て、立ち止まって、上を見上げたことになります。掛け声だけだとどこにいるのか指定できない。イエス様はすでに隠れている場所を言い当てているのです。
●「立ち寄る」<「食事に呼ばれる」<「家に泊まる」の順が親密度の順ですが、ここでは「家に泊まる」となっていますから、「友無き者の友となる」イエス様の姿勢が良く表現されています。「大喜びで迎えた」の「大喜び」はギリシャ語で「ハイロー」喜んで以外に、「元気になって」と言う意味があります。「嫌われ者の取税人の頭の家」に行くという行為は極めて不自然であり、不快と感じました。
●ザアカイの決意は並外れていました。ユダヤ教は手に入れた財産は弱者にも分配し、富める者も貧しい者も公平に生きることを教えていたので、「神の教えを遵守する」とのこの決意を実行したら財産はほぼなくなってしまうのです。盗人の償いの件(出21:7)・ダビデが誓った言葉(Ⅱサムエル12:6)を参照してみてください。
●「あなたの家」の家は文字通り建物を指しますが、ザアカイには家族があったことを想像できるので、救われた証として、家族を顧み、家族の為にも尽くす家長の姿を予測することもできるのです。ザアカイを敢えて「アブラハムの子」と呼ばれたのは、周囲のユダヤ人へのイエス様の配慮と思われます。打算でしか人と付き合えない人がいます。「無償」という言葉が信じられないのです。イエス様はザアカイに「無償の愛情」を示されました。ですからザアカイも打算のない純真な心から応えることができたのです。「失われた」とはギリシャ語で「アパロミ」、日本語では「破壊する、役に立たない、殺すべき、台無しにしている」の意味があります。ザアカイは、神様にとって、破壊者であり、無用のものであった者でしたが、新生することができたのです。