桑の木は海の中では生きていけないのに??

2024年6月29日

《なるほどThe Bible》2021/09/28
=桑の木は海の中では生きていけないのに??=
【参照聖句】使徒たちは主に言った。「私たちの信仰を増し加えてください。」すると主は言われた。「もしあなたがたに、からし種ほどの信仰があれば、この桑の木に『根元から抜かれて、海の中に植われ』と言うなら、あなたがたに従います。
ルカ17:5~6(新改訳2017)
💙この箇所は「信仰を増し加えてください」に対するイエス様の返答です。弟子たちは信仰を能力の一つと考えていたからこそ出てきた要求でした。ところが、イエス様の返答は意表を突いた物でした。「あなたがたに、からし種ほどの信仰があれば」と言われた時、弟子たちには、からし種程の真実な信仰の片鱗すらなかったと指摘されるのです。更に、「・・・海の中に植われ」と不可解な事を言われるのです。地面から抜き出す事はできても、海の中で陸上の植物は生きることなどできません。
💙この個所は「桑の木が自然に動いて海に移動するなんてありえない」ことから「信仰は不可能なことを可能にするもの。信じれば何でもできる。基督者には超自然的特殊能力が付与されている。」と説明されることが多いのです。しかし「不可能を可能にする」のが趣旨ならば、他にももっと分かりやすい譬えが出来るのではないでしょうか。例えば「石がパンになる」の様な事です。また、更に、この桑の木とは、誰のことを指しているのでしょう。また、地面から海へ移動するとは??
💚ここに登場する桑の木は「イチジクグワ(エジプトイチジク)」と呼ばれている常緑樹で15mに及ぶ巨木になり、その根は地面に露出するほど広く深く張っていきます。また樹齢は数百年ともいわれています。古代エジプトのミイラを収めた柩はこの樹木で作られ、埋葬されて数千年を経た現在でも、まったく損傷ない状態で発見されています。この木は主なる神様よって長い間栽培されてきたユダヤ民族やユダヤ教を表現するものです(アモス7:4参照)。またここで出てくる「海」とは、地中海や死海や紅海のことではなくキネレテの海(あるいはテベリヤの海)つまり「ガリラヤ湖」のことです。根元から抜かれての「根元」とは自らを神の選民と称し、長く誇り高い歴史と宗教に胡坐をかき、驕り高ぶるユダヤ人社会全体をさしています。そして海の中に植われの「海」とは、当時、正当ユダヤ教徒から、ナザレ派(当時のイエス様の一団はこう呼ばれ揶揄されていました)の根城とされていたガリラヤ地方を指しています。
💗以上から、この譬えを理解すると「神の国は能力主義(修練や学習量の産物)ではないことを認めよ。」また「固執している選民ユダヤ人としての価値観で生きるのを止め、この世の価値観に基準を置かない基督者(ナザレ派)として生き方を変えよ。」ということが言えるのです。
💙当時の、吹けば飛ぶような弱小集団であるナザレ派の弟子たちは、いつでもこの集団から離脱可能だったのです。元の古巣に戻って快適な生活さへ送れるのです。彼らが夢見ていたのは来るべき王国でのゆるぎない立場と肩書です。彼らのイメージしていた王国での立場と肩書は彼らの能力に比例すると考えていたからこそ出てきたのが「信仰を増し加えてください」という頓珍漢な要求だったのです。他者を慈しみ、他者の幸福のために他者に仕えることを基本条件とする「魂の救済」など眼中になかったのです。
💙ですから、この箇所は、メシヤの使徒として「何のために生き動き存在するのか」が理解できなかったことに業を煮やしたイエス様の弟子たちへの叱責の言葉と考えられるのです。