ルカの福音書13章-1

ルカの福音書13章-1
=本章の内容=

➊ガリラヤ人の反政府運動・シロアムでの事故➋神の国のたとえ➌狭い門➍エルサレムを嘆く

=ポイント聖句=

番人は答えて言った。『ご主人。どうか、ことし一年そのままにしてやってください。木の回りを掘って、肥やしをやってみますから。もしそれで来年、実を結べばよし、それでもだめなら、切り倒してください。』(13:8~9)

=黙想の記録=

●「因果応報」は2000年前から変わらず、「人間を覆う陰」です。不幸の原因は全て因果応報で片付けようとするのが、悪魔の常套手段なのです。
●ガリラヤ出身の人々の中にローマ支配に不満を持つ過激的なグループが存在しました。彼らが暴力革命を企てエルサレムに集結していたのです。ガリラヤ人は武器を持たずに、丸腰で神殿で礼拝を捧げ、ユダヤ教のしきたりにより動物をささげている真っ最中でしたが、ピラトの軍隊が、ガリラヤ人を探し当て、他のユダヤ人への見せしめとして、このグループを神殿で虐殺し、その血がいけにえの血と混ざりあった。これが事件の全様です。「ガリラヤ人は生活水準が低い。だからこんな目に合う」「こんな無謀な活動をすれば当然報いを受ける」と考える人が大勢いたのです、ローマと仲良く過ごすべきだというリベラルな有力者(サドカイ人)がエルサレムには多かったのです。エルサレムは慢性的な水不足の地域でした。ヒゼキヤ王が、城壁の外にあった「ギホンの泉」から「シロアムの池」までのトンネルを掘らせ、水源を確保。トンネルは岩石で補強されていて、トンネルの最先端がシロアムの池。住宅の外壁なので高く覆われている。逃げ場がなかったのです。シロアムの池には塔が建っていた。建造上の人為的なミスの為、塔が倒れて18人が犠牲となりました。二つの悲惨な事件や事故を取り上げて、「不幸の元凶は生活水準の低さとか運の悪さから起因する」という「因果応報」の考え方が蔓延していたのです。イエス様はそれを否定したかったのです。

●いちじく事件。主人とは裁きを下す父なる神を、番人はとりなしをする子なる神を表しています。イチジクの正常な生育に責任をこの番人は自らの責任としているのです。これがイエス様の罪人である私達へのお気持ちなのです。

●16節でイエス様がはっきりと「18年もの病の霊につかれて」を「18年間サタンが縛っていた」と表現されています。この人の年齢については書かれていませんが、高齢者ではなく、側弯症になっている患者と思われます。何が発病の原因であったのか、どのくらい重症であったかは定かではない。時の宗教指導者さへ、「悪霊が悪さをするくらいこの人物が神にも赦されぬ罪をおかしていたから」という因果応報の考えで終始一貫しているのです。会堂管理者にとっては生活弱者からは献金は期待できません。初めから、差別意識が働いていたのです。律法専門家としての威厳をこめて、「安息日論争」でイエス様の人気を貶め、辱るつもりが、逆に群衆にもわかる内容で単純に論破されてしまったから。群衆は「女性の癒し」だけではなく「既成のユダヤ教にはない新鮮な教え」が聴けたことに感動を覚えたのです。

●不幸は因果応報から来るものではない。「生活水準が高いことや運の良さを神様の恵み」と捉えることは「因果応報=御利益宗教」と同じことです。このことをイエス様は本気で嫌われておられます。しかし、またハンディを口実にしない信仰の姿に、逆にイエス様は感動されるのです。