ルカの福音書12章-2
ルカの福音書12章-2
=本章の内容=
➋遺産相続・ある金持ちのたとえ・神の国を求めよ
=ポイント聖句=持ち物を売って、施しをしなさい。自分のために、古くならない財布を作り、朽ちることのない宝を天に積み上げなさい。そこには、盗人も近寄らず、しみもいためることがありません。(12:33)
=黙想の記録=●「遺産相続を持ち掛けた」ことから端を発するこの3項目は「基督者としての生活」というカテゴリーで結び付けられています。「遺産相続」は家族を分断する打って付けの悪魔の攻撃方法です。本来「遺産相続」を処理するのは「裁判官・調停人」のはずです。ところが当時は、律法学者がその中心にいました。遺産相続についての相談を受け解決することを通じ弁護料としての謝礼を受けていたのです。大ぴらに相談してくるほどの大きな遺産の相談だったかもしれません。そうすると謝礼も大きくなるのです。この話を持ち掛けて、イエス様と弟子たちの反応を見ているのではないか。さて相談を持ち掛けた側のことですが、「相続財産」がなければ本当に生活できなかったのでしょうか。必要以上の生活水準を望む必要があったのでしょうか。ここに弟子への教訓「貪欲に注意せよ」が込められていたのです。また、遺産相続は、骨肉の争いの元凶になることへの警告です。教会は、その財政を独占する輩が登場する危険性も警告している気がしてなりません。
●ある金持ちの言葉を英文を見ると「自分自身」「私の」「私は」との言葉で始終していいます。極めつけは「私のたましい」です。ここまで来ると聖書を知らない人でも、身近にもこんな人がいたなあと滑稽に思えてくるはずです。「財産を得る才能を私は手にしている。手にした財産は自分だけの物。自分の一生は安泰だ。飲食遊興こそ自分の人生そのものだ。魂(=いのち)だって金で買えるさ。」とこんな具合です。この男の勘違いは一言でいうと「神の前に富まない者」なのです。何も持たなくても幸せな人はこの世にごまんといるのです。
●「神の国を求めよ」とは、「功成名遂(大きな功績を上げて、世間からの評価が上がること。)」とは無縁の生き方です。これをここでは、「烏」や「百合の花」のような自然から学べと説いておられます。烏はそもそも忌み嫌われていた生き物です。百合の花はユダヤではアネモネのことを言っています。どこにでも目を出します。さらに、毒性があるために食することができないどころか、燃やして処理しても煙が危険なので煙すら出さない炉の中で燃やす必要性があるのです。このように、忌み嫌われ、役に立たない者であっても父なる神様は無関心ではいられない方であることを説いています。
①ユダヤ人の遺産相続・ローマ法では生前贈与はありえない。長子は全財産の3分の2、残りを兄弟たちが分割する。ローマ法では均等相続=共同相続人
②イエス様が使われた「野の花」は「野のゆり」は「アネモネのこと」であるというのが有力。毒性があり燃やしても煙を吸引するのも危険。アネモネは現在イスラエルの国花として指定されています。