ルカの福音書11章-2

ルカの福音書11-2
=本章の内容=
➍イエス様の母➎ヨナと南の女王➏あかり➏律法論争
=ポイント聖句=さて、イエスはある所で祈っておられた。その祈りが終わると、弟子のひとりが、イエスに言った。「主よ。ヨハネが弟子たちに教えたように、私たちにも祈りを教えてください。」(11:1)
=黙想の記録=●ここで唐突にイエス様の母の来訪について書かれていますが、これにも意味があります。「あなたはただの人間から生まれたのであって、神ではない」と言う主張を通じ、イエス様の神聖を引きずり落とそうと試みる悪魔の存在がここにあるのです。イエス様の弟子たちが建築しようとしている教会はイエス様ご自身の祈りの第一課題です。この教会では肉親以上の濃い絆を持つことができることを説明されているのです。さしてこの集団は血流の様な生き生きとした祈りの連鎖と結束で結び付けられているのです。
●ヨナと南の女王、あかり、律法論争と話が展開していきますが、これらはバラバラの内容ではなく、9月~12月にかけてのユダヤの祭りを視覚教材の様に使いながら、祈りの内容や、祈りの助け手の存在を説明している箇所です。「贖罪の日、仮庵祭、律法の歓喜祭、宮きよめ・奉献の祭り」がそれです。
①ヨナ書は贖罪の日に朗読される書物で、ユダヤ人に一年間の罪を悔い改めを迫る日でした。
②ソロモンに宿った神の知恵に驚嘆するシバの女王の話です。肉体は一時的な仮住まいです。そこに私たちは神の生ける神の知恵、つまり聖霊を宿しているのです。仮庵祭はこの為の教材でした。
③穴倉や升の下にあかりを灯していれば、やがて空気が無くなり消えてしまうのです。会堂(教会)と言う制約された場所や時間が弟子を育てるのではありません。ハヌカ(宮きよめ・奉献の祭り)とは紀元前167年のマカベア戦争に、ユダヤ人が勝利したことを記念した祭りです。神殿を清めたとき、神殿内に聖油が1日分しか残っていなかったのに、燭台が8日間燃え続けた奇跡を記念して8日間祝う祭りです。つまり、我々の一生に光がともり続けるのは、我々に地上の生涯を共にしてくださるもう一人の助け主、聖霊がおられるからです。この方は一旦心に受け入れたものには消えることのない光となるのです。
④律法の歓喜祭は本来ユダヤ人全体で祝うべきものでしたが、率先してこの祭儀を行ったのはパリサイ人や律法学者で、民衆とあまりにも乖離していたのです。律法を求めそれを実行する事は、本来神を喜ばす為のものでした。形骸化していた祈りを正常に戻す手段は聖霊に頼るしか道がないのです。
●ユダヤの祭、そして律法は、もともと父なる神様を身近に感じる好機であったのに、それが不可能になった理由を述べています。
●これらの祭りと言う視覚教材を使って、イエス様は、「基督者の祈りの姿勢」と「祈りの助け手の存在」を説明してきたのです。「基督者の祈りは、単発的断続的なユダヤ教の祭りの様ではなく、日々に神様を身近に感じることのできる特権であること、祈りは儀式ではなく、定型などない。自由な神との交わりの時である。そして、いつでもその祈りに寄り添って下さる助け手がおられること」を、イエス様は説かれたのです。
●本章は断片的な物語の寄せ集めではなく、「祈りの姿勢」というテーマをもとに、ルカが編集したものであることが改めて理解できるのです。