ルカの福音書10章-2
ルカの福音書10章-2
=本章の内容=
良きサマリア人のたとえ
=ポイント聖句=そして近寄って、傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで包帯をし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行って介抱した。次の日、彼はデナリ二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』10:34~35
=黙想の記録=●「一見さんお断り」とは店と何のつながりもなく、店の得意客からの紹介もない客、すなわち「一見さん」の入店を断ることです。この良きサマリヤ人の譬えは黙想するたびに新しい発見があります。私は今回、サマリア人とこの宿屋の主人の関係制にとても興味が湧いてきました。
●この街道では過去頻繁に山賊が出没し被害者が多数いたことでしょう。ここに登場するサマリア人はこうした場面に遭遇したのは一度や二度ではないはずです。オリーブ油・ブドウ酒・包帯は初期対応のできる医薬部材です。これを携行していたということは、こうした場面に何度も遭遇していた筈です。さらに準備の手際よさを考えると、怪我人に迅速な応急処置を施すことができる人物だったと言えるでしょう。このサマリア人を現在の職業で譬えるなら「経験豊富な救急救命士」と言えるでしょう。
●救いに預かる以前の私達は、数々の罪によってずたずたにされた魂の重傷者でした。祭司や律法学者同様、精神や魂を語る人々は巷に多く存在していても、またその類の刊行物が多数あっても、実際には何の役にも立たないのです。必要なのは駆け寄って救助してくれる魂の救急救命士です。この良きサマリア人こそイエス様ご本人を指しているのです。
●エリコはエルサレムから東北東約25kmに位置します。時速4kmでゆっくり目に歩いたとしても7時間程度で到着できます。山賊が出てくるところです。ですから宿屋はその街道の途中にあるとは思えません。ならエリコにあったとするとどうでしょう。エリコは年平均気温25℃温暖湿潤な場所で、祭司をはじめ多くの宗教関係者が居住し当時としてはとても賑わっていた都市のひとつです。交易の中心地でもあった様ですから宿屋はたいそう繁盛していたことでしょう。通りすがりの一文無しでは宿に泊まれるはずがありません。当時サマリヤ人は人種差別を受けていたわけですから、おいそれとはエリコの宿には泊まれるはずがありません。多額の金銭を支払えばそれも可能だったかもしれません。ましてや一見さん(その場で初めて出会って宿泊を頼む人)のサマリヤ人が宿を求めてきても門前払いするのは当たり前です。これらのことから推察すると以下のような黙想ができるのです。これほどの重傷の人間の宿泊を引き受ける宿屋の主人はどんな人物と言えるでしょう。重傷者を連れてきてその場ですぐに宿泊を許可できるものでしょうか。次の様に考えることができます。第一に、このサマリア人との信頼関係が前からなければ承諾しないでしょう。つまり、過去に何度も重傷者を運び込まれた経験がある。さらに言ううなら、このサマリア人とは金銭を超えた関係性がある。第二に、この宿屋の主人自身も重傷者をケアできる能力があった。以上のことから黙想するとこの宿屋の主人は三位一体の神「聖霊」を指しているのではないでしょうか。
●では現在の基督者に適応してみましょう。「瀕死の人」を救助するには的確な対応を迫られます。それには高い経験値が必要です。また多額の経費がかかるのです。ほんの気まぐれなどでは絶対できません。「魂の救済」もこれと同じです。高い経験値と多額の費用。これを捻出するだけの気力や財力があなたにありますか。またそれだけの犠牲を払う覚悟はありますか。口先だけの隣人愛だけでは「魂の救済」はできません。