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バプテスマのヨハネへの回答??

2024年6月29日

《なるほどThe Bible》2021/09/13
=バプテスマのヨハネへの回答??=
【参照席】その人たちはみもとに来て言った。「私たちはバプテスマのヨハネから遣わされて、ここに参りました。『おいでになるはずの方は、あなたですか。それとも、ほかの方を待つべきでしょうか』と、ヨハネが申しております。」ルカ7:20
※「伏線シリーズ」を何回か投稿させてもらいます。
🔷ここはバプテスマのヨハネが牢から彼の弟子を遣わして「あなたはメシヤですか」と尋ねた箇所です。バプテスマのヨハネの質問の意図はこの章冒頭部分にある二つの奇跡が伏線となることで、はっきり見えてきます。
💚「百人隊長のしもべの癒し」には、異邦人への福音の広がりを教えています。ナインの寡婦の子供の蘇生は、いのちの根源について教えています。さらに二つの奇跡の体験者は名もなき下僕であり、ナザレよりはるかに南方に住む田舎者でした。
💚ヨハネの命は今や風前の灯火。やがて斬首の刑に追い込まれている彼にとって、預言者としての覚悟はあるので「死」は恐怖では無いのです。しかし、無目的に死を迎える「犬死」だけは、どうしても耐えられないことなのです。ところが、イエス様の活動内容は、多くのユダヤ人がそしてバプテスマのヨハネが待望していた「イスラエル復興や宗教改革」を成すメシヤとはかけ離れているものでした。「おいでになるはずの方」とは「ユダヤ人の為のメシヤのこと」で、この時のヨハネには父なる神様の大きな深い意志を汲み取ることができなかったのです。
💚「見たり聞いたりしたこと」とは直近の二つの奇跡を指しています。「メシヤの地上での任務が何であるのかを熟考せよ。」との一見冷たく感じるこの言葉で、バプテスマのヨハネは、「世(全人類)の罪を取り除く神の子羊」であり「いのちの根源」であるメシヤこそイエス様その方であると悟ることができたのです。この言葉が潔く散っていくその後のバプテスマのヨハネの生き様につながったとは言えないでしょうか。斬首という「無様な死に方」がかえって「神様の栄光に満ちた死に様」と確信できるようになったのです。
💗大変な大病を患っておられ、その為に多くの方々の熱心な祈りがささげられたのにも拘わらず、その後、回復することもなく天に凱旋される兄弟姉妹の「死に様」を見ることがあります。その死に行く姿を見て「無様な死に方」と思う基督者はいないでしょう。バプテスマのヨハネの決意の程は、イエス様のヨハネへの賛辞から伺うことができるのです。