大漁が、ペテロを伏し拝ませた理由になぜなるの?

《なるほどThe Bible》2021/10/02
=大漁が、ペテロを伏し拝ませた理由になぜなるの?=
【参照聖句】そこで別の舟にいた仲間の者たちに、助けに来てくれるよう合図した。彼らがやって来て、魚を二艘の舟いっぱいに引き上げたところ、両方とも沈みそうになった。ルカの福音書 5章7節
◼︎以下に出した数値はあくまでも素人の推測に過ぎません。
■ここに登場する船は全長7m程度の小型の手漕ぎ船で積載量の限界は300kg程度、成人男性が5人も乗ったら沈む程です。ガリラヤ湖つまり湖に生息している魚は海に比べたらはるかに少量です。ですから、通常の漁獲量は季節にも寄りますが、夜通し作業を繰り返しても50kgも捕れればまあまあの方でしょう。
◼︎ところが、この時、尋常でない事態が起きたのです。船が沈みそうになるくらいの漁獲量ということは乗員二人分を除く180kg程度の魚が捕れたということになります。またこの時の漁法は「直径5mくらいの網を投げる入れる」方法ですから、一回の投網でせいぜい20kgの魚を釣り上げるのが精一杯でしょう。するとこれだけの魚を捕るには少なくとも9回になります。一回の作業を10分程度とするなら90分。つまり1.5時間を超える事でしょう。面白いほどに釣れるので無我夢中になっていたとは言え、夜通し働いてきた彼等にすれば、1.5時間ぶっ続けの作業はかなりの重労働と言えます。彼等は欲をかいて何度も船を出したと記載されていません。夜通し漁をしても僅かなのにこの量は常軌を逸しています。この超自然現象に遭遇し、彼等は一度で目の前の人物が、ただならぬ存在であると気付きます。欲を出して漁を続行するより、この状態に神の臨在を認めることを優先するのはなぜなのでしょう。
💙さて、重要なのはここから。ペテロは、「大量の魚の居場所を言い当てた人物」と言う理由で、また、「小馬鹿にした態度で嫌々漁に出た非礼を感じた」からという理由で、イエス様の足元にひれ伏し、礼拝したと言うのでしょうか。思い出してください。メシヤではないかと勘違いされた預言者パフテスマのヨハネさへ、ひれ伏して拝まれはしなかったはずです。ペテロの取った態度と言葉は、上記の理由だけでは不十分と感じませんか。
❤ヒントになるのはエゼキエル47章です。この章の前半部には「神殿から流れる水が荒涼とした地を潤すだけでなく大量の魚の生息地となる」という預言の一節があります。こうした超自然現象を引き起こせるのは来臨のメシヤしかいないのです。聖書に親しんでいる人物なら、今見ている光景は、その聖句を想起させるはずなのです。ましてや漁師のペテロにはこの聖句の実現は驚嘆に値したのです。神殿の主メシヤが今、目前にいるイエス様であるとペテロは直感したのです。彼がイエス様に近付きまた引き下がった時、「罪深い人間です」と告白したのもこの聖句が彼の心にしっかりと刺さったからではないでしょうか。