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ルカの福音書4章

2024年8月26日

ルカの福音書 4章
=本章の内容=

①悪魔の試み②会堂での反応③故郷での反応④悪霊憑きの癒し⑤ペテロのしゅうとめの癒し

=ポイント聖句=

イエスがその枕もとに来て、熱をしかりつけられると、熱がひき、彼女はすぐに立ち上がって彼らをもてなし始めた。(4:39)

=黙想の記録=

●「悪魔の試み」についてルカは3つのパートに分けて書いています。第一は「石ころをパンに」、第二は「国々の権力と栄光を」、第三は「飛び降りろ」というものでした。総じて言えば「悪魔の試み」の矛先は、全てイエス様の公生涯の目的を問う者でした。
●第一の「石ころをパンに」は「創造の目的」つまり「神の創造の御業に意義」への挑戦です。ここでイエス様が「簡単なことだ。石よパンになれ。」と命じればその通りになったことでしょう。しかし、これでは自然の法則に反したことを自分の為にしたことになります。人含むすべての創造物も自然の法則も神様の気まぐれの為に造られた訳ではありません。私たち「人」が「自然の摂理」から、神を知ることを願って造られたもので、人間には脅威である動物でさへ、意味があって造られたのです。ましてや「人」は偶然や気まぐれの産物ではないのです。「必ずそれそれ生きる意味を持っている」のです。マタイは「神の口から出る一つ一つのことば」と付け加えていますが、ルカは書いていません。哲学の大好きなギリシャ人にはこれだけで十分意図が通じたのです。
●第二の「国々に権力と栄光を」は「地上でのイエス様の使命」に対する挑戦です。イエス様は自ら言われた様に「人の子は仕えられるためではなく、仕えるため」(マタイ20:28)に障害を生き抜いた方です。これが神様のご性質でもあるのです。人格の極めて低いギリシャの神々とはくらべ物にならないのです。「人を愛する」とは「支配する」ことではなく「仕える」ことであると定義されたイエス様は同時に「父なる神にのみ仕える」ことが人間に課せられた使命でもあると仰ったのです。
●第三は「飛び降りろ」は、「十字架による救いの御業」への挑戦です。こんな場所で命を落とすことは神様のご計画を無視する行為です。悪魔は全人類の救いの計画を台無しにしようとしたのです。十字架は贖罪の為の唯一の方法でそれ以外にはないのです。悪魔はすでにこの時点で大敗を帰していることを知ってしまったのです。
●さて後半に登場するシモンのしゅうとめのことですが、何気なく読み過ごす箇所です。姑と言うことは「シモンが妻帯者」であることを意味します。「シモンの家に」姑がいたと言うことは姑が同居していたことを意味します。場合によるとシモンは婿養子であったか、独居老人となってしまった妻の母親を日頃から気にかけていたことになります。いずれにしても、シモンの深い家族愛を感じさせる一場面です。姑は恐らくシモンの妻と家族と共になって、イエス様一行を心からもてなしたことでしょう。ルカが、この何気ない場面を切り取ったのは、シモンと家族との深い絆を感じさせられたからではないでしょうか。またこの姑が周囲の人からも大事にされていたことを書き忘れてはいませんでした。それはこの姑の周囲への日頃からの心配りが、人々の心を動かしたからに他ならないのです。イエス様はいつも家族やその周囲の人々のことを念頭に置かれていた方です。家族やまた近隣の人々を愛せない者に、神様を愛する特質など宿るはずがないからです。