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ルカの福音書3章

2024年10月9日

=本章の内容=

①ヨハネを囲む環境②ヨハネのメッセージ③イエス様の洗礼④系図

=ポイント聖句=

教えを始められたとき、イエスはおよそ三十歳で、人々からヨセフの子と思われていた。このヨセフは、ヘリの子、順次さかのぼって、(3:23)

=黙想の記録=

●皇帝テベリオ、ポンテオ・ピラト、ヘロデ、ピリポ、ルサニヤ。アンナス、カヤパ。為政者指導者のオンパレードですが、ここにヨハネのメッセージの伏線が引かれています。歴戦の勇士アウグストゥスによりローマ帝国は盤石なものとなり、一時平和が訪れます。ヘロデ大王は名目上ユダヤ教に改宗したエドム人です。ヘロデ大王は猜疑心の強い人で秘密警察を抱え、仇する者は徹底的に粛清します。ベツレヘムの幼児虐殺はその典型例です。その後無能な息子のアケラオが一時王位を継承しますが、すぐに退位させられ、そればかりか国外追放されてしまうのです。直後に国は四分割され、ユダヤ国民にあまりにも無頓着に無頓着な総督が実質統治していました。さらに、ヘロデ家の国主たちは贅沢三昧で、ユダヤ教に全く関心のない生活をしていました。ヨセフの父は厳格なユダヤ教徒で、その厳格さがヨハネにも継承されています。ところが、この頃の祭司は、ローマ総督により任命されていた為、常に総督の顔色を伺いながら職に当たっていました。当然賄賂が行きかうような金銭にとても汚い人たちでもあったのです。社会全体が腐敗していたのです。ヨハネの火を噴くようなメッセージはこうした時代背景から生まれた物とも言えます。
●「悔い改める」とは、単に「後悔する」とか「反省する」程度のことではなく、生活を一変させることを意味しています。それだけではなく実を結ぶ行為(積極的で良心的な行動)を取ることも意味します。「立ち止まることは悔い改めではない」と言っているのです。取税人・兵士に対してとても分かりやすく具体的な指示を与えています。ヨハネは抽象的な言い方をしていません。これは、ヨハネがユダヤ人全体に関心を払い、彼らの痛み苦しみを十分理解していたからこそ、言い放つことができたともいえるのです。
●ルカはイエス様の受洗を表現することで、父・子・聖霊の三位一体の調和を見事に表現しています。しかし、忘れてはいけないことは、子の受洗を通し、悔い改める必要性のないお方が、私たち罪人と同じ立場を取ってくださった事実なのです。
●後半部に至っては、イエス様の系図が何とアダムまで遡るのです。マタイが国王中心の系図に対して、ルカの系図は冒頭の聖句が暗示しているように、人間の単なる連鎖で表現されています。ルカは大変泥臭い系図の書き方をしているのは、何でもかんでも神格化し、美化してしまう、ギリシャア人へのパラドックスだった言えるでしょう。