士師記19章-1
士師記士師記19章-1
=本章の内容=
❶家庭の崩壊❷良き習慣の崩壊
=ポイント聖句=1,イスラエルに王がいなかった時代のこと、一人のレビ人が、エフライムの山地の奥に寄留していた。この人は、側女として、ユダのベツレヘムから一人の女を迎えた。
=黙想の記録=❶1-14節:家庭の崩壊・・・レビ族は各地域に散り、それぞれの部族の為に霊的オピニオンリーダーとして「主に仕える」「主を愛する」ことを教える立場にいたはずです。また他部族はレビ人の生活保障をしなければならなりません。前章でその体制が崩れて自立生活を余儀なくされていたことを記しました。生活の安定と争いごとからの回避のためレビ人に割り当てられた48の町から離れエフライムの山間部に住んでいたと思われます。また正室がいて側室がいるわけですから、このレビ人の家族に不安要素が推測されます。場合によると正室は不妊女性であったかもしれません。そのために側室を取ったのではないでしょうか。しかし子孫繁栄を願うのは神に仕えることを嗣業とするレビ人としてふさわしい事だったのでしょうか。他の部族に対して人口増加率が少ないことがレビ人が「家族を持つことより神に仕える」ことを選ぶ精神を証しするものと言えます。また「・・・若い者を使っている(19)」とあることからある程度資産を持っていたことが伺えます。これもまた本来のレビ人が追求するものとは言えません。「2,・・・その側女は彼を裏切って、彼のところを去り、ユダのベツレヘムにある自分の父の家に行って、そこに四か月間いた。」とあります。裏切り行為とは韓国語の聖書では「淫行していた」とあります。「彼のところを去り」と日本語訳ではやんわりと表現しています。しかし彼女は「姦淫を犯した」ことになるので、イスラエルの刑法では石打の刑を受けなければならないのです。(申命記22:22)。ですからこの場合、犯した罪の重大性を知り逃亡したと言えないでしょうか。レビ人にすれば顔に泥を塗られたわけですから即座に見つけ出し刑を執行すべきでしょう。しかし四か月も放置しています。レビ人がエフライムの山間部を選んでのは、そもそもこのレビ人がこうしたイスラエルの因習に囚われたくなかったからとは言えないでしょうか。こんな重大事をうやむやにできる状況に居たことになります。この側室はなぜ実家に戻ったのでしょうか。実家に戻ることが同時に災いを引き起こすことになると考えていなかったのでしょうか。レビ人の様子は彼女を捕らえ来た様子ではありません。ろばは彼女を載せて帰るためです。身の危険から解放されたことを単に喜び、父親を安心させるためにレビ人を迎え入れます。善意に解釈すれば、「レビ人が彼女のことを深く愛していたので、すでに罪を赦している。今後の社会的制裁からも守ってあげる。」ことを約束したのではないかと思われるのです。そこで彼女の父親はレビ人を5日間も歓待するのです。ところがこの5日間の滞在は次のギブア事件の前哨戦になるとはこの時誰も思っていませんでした。故郷に戻る途中若者はまじかのエブス(土着民族の町)を勧めたのですが、レビ人は更に北のベニヤミン族の地ギブアを目指してしまいます。
❷15-21節:良き習慣の崩壊・・・ベニヤミン人の町ギブアに到着しましたがう、一人を除いて全員がこのレビ人一向に宿を提供することはありませんでした。「あなたがたとともにいる寄留者は、あなたがたにとって、自分たちの国で生まれた一人のようにしなければならない。あなたはその人を自分自身のように愛さなければならない。あなたがたも、かつてエジプトの地では寄留の民だったからである。わたしはあなたがたの神、主である。(レビ記19:33-34)」と、寄留者を快く歓待することが律法に規定されているはずですが、ベニヤミン属にはこの良き習慣が崩壊していたのです。畑仕事から帰宅する老人が気にかけてレビ人一向を自宅に泊めることにしました。老人にはまだイスラエル人としての自覚が備わっていたのです。
=注目語句=語句①側室(1):英語concubine;ヘブル語イシャ[妾・愛人]・・・側室と妾(愛人)ではだいぶ意味具合が違う。側室は第二順以降の妻だが、妾は妻とは言えない。正室に抜きん出ることは許されないのは無論のこと、世帯の管理を一切任されす、また財産権もない。大変窮屈な立場であった。また子供を産むことができなければ更に窮屈な生活を強いられる。
=注目地名=地名①ベツレヘム(1):英語Bethlehemjudah;ヘブル語ベイスレヘム[パンの家]・・・土着民族を排斥できなかったわけなので場合によるとこの女性は異民族かもしれない。
地名②エブス(11):英語Jebus;ヘブル語イェブース[脱穀場]・・・シオン山に作られたカナン人の町
地名③ギブア(12):英語Gibeah;ヘブル語ギブアー[丘]・・・ユダの山地にある都市。サウル王の生誕地であり居住地であった。