士師記14章-2

士師記14章-2
=本章の内容=
➌サムソンのなぞなぞ❹宴会の後
=ポイント聖句=18,町の人々は、七日目の日が沈む前にサムソンに言った。「蜂蜜よりも甘いものは何か。雄獅子よりも強いものは何か。」すると、サムソンは彼らに言った。「もし、私の雌の子牛で耕さなかったなら、あなたがたは私の謎を解けなかっただろうに。」
=黙想の記録=➌10-18節:サムソンのなぞなぞ・・・「10,彼の父がその女のところに下って来たとき、サムソンはそこで祝宴を催した。若い男たちはそのようにするのが常だった。(新改訳2017版)「10-11父親が結婚の手はずを整えてくれると、サムソンはしきたりどおり村の若者三十人を招いて祝宴を催しました。(リビングバイブル)」父親が結婚の手はずを整えている最中にサムソンは現代の「飲み会」を催します。何を飲んだかは記されていませんが「若い男たち」の席です。強いブドウ酒が振舞われたのに間違いありません。とすると、ここでもサムソンは平気でナジル人の誓いを捨てているのです。飲み会の間、気に入った女性が手に入ったことで悦に入ったサムソンは余興として高額な品物を賭けたなぞなぞを出すのです。その品物とは亜麻布三十着と晴れ着三十着でした。考えてもみてください。サムソンが負けた場合の代価であるこの高額の品物はいったい誰の持ち物だったのでしょう。当然父親の財産です。今までもそして今回も「神様に選ばれた息子」と言うだけで父親はどれだけ振り回されなければならなかったのでしょう。現代だったらこんな道楽息子はとっくの昔に勘当されていることでしょう。ところが若者たちはサムソンの出したなぞなぞが解けません。「食らうものから食べ物が出た。強いものから甘い物が出た。」のなぞなぞの答えは「若獅子の死骸から蜂蜜がとれた」というサムソンだけが知っている個人的経験です。こんななぞなぞ解ける筈が最初からないのです。酔いが手伝って気が大きくなってしまった若者たちがサムソンの手玉に取られてしまったわけです。解けなければ賭けに負けるわけですから。そこでサムソンの妻を脅してなぞなその答えを手に入れるのです。「答えをサムソンから引き出さなければ妻の家族を焼き殺す」と脅かすのです。そこでサムソンの妻は止むに止まれず答えを教える様にせがむのです。素朴な疑問ですがこんな窮地に迫られているのに妻はサムソンに脅かされていることをなぜ伝えなかったのでしょう。また泣きすがって来る自分の妻の悩みにどうして気づいてあげることができなかったのでしょう。ここにサムソンの結婚観の欠陥部分を見る気がしてならないのです。サムソンは妻を性のはけ口くらいにしか考えていなかったとは言えないでしょうか。最良の理解者であり最良の協力者であるとの認識はさらさらなかったのでしょう。とうとう根負けしたサムソンは答えを明かしてしまうのです。ですがまさかそれが30人の若者に筒抜けになろうとは。サムソンは妻に裏切られたと激怒し妻を追い出します。事実上の三下り半を渡したのです。妻もまたサムソンの良心同様サムソンの勝手気ままな振舞の犠牲者とも言えます。
❹19-20節:宴会の後・・・「19-20,その時、主の霊がサムソンに下りました。彼はアシュケロンの町へ行き、三十人を殺して着物を奪い、なぞを解いた若者たちにくれてやりました。」の中で「19,そのとき、主の霊が激しくサムソンの上に下った。・・・」との聖句がありますが、これで二度目の出来事です。この時のサムソンの窮地は自業自得の結果です。ペリシテ人の若者たちは自分の妻を脅かしているという不正を犯しているばかりか、仮にサムソンが負けを認めず嘘の答えを言ったのならば、ペリシテ人の若者はサムソンに襲い掛かって来るでしょう。負けを認めても父の財産を力ずくで奪うことでしょう。自分の愚かさが招いた絶対絶命の危機なのです。しかし負けは負けです。賭けに勝ったペリシテ人の若者ではなく、アシュケロンという別の町に行き30人を殺害し衣服を剥ぎ取るのは略奪行為で言語道断です。しかし主はこんな場面でもサムソンに力を貸しているのです。こんな蛮行に神様が力を貸すなどとても理解不能なことです。しかしこれはイスラエルを圧迫しているペリシテ人と士師サムソンを引き合わせる強制的な手段なのです。この時点でサムソンにはペリシテ人攻撃の意志はないと思われるからです。
=注目語句=語句①祝宴(10):英語feast(KJV) party(NLT);ヘブル語ミシュテー[宴会,酒宴]
※再掲:語句②ナジル人(5):英語Nazarite;ヘブル語ナジーエル[献身者]・・・この言葉は一般的に、他の人から分離され、神に献げられている人を表しています。サムソン以前にはナジル人についての言及はないが、モーセの時代以前に存在していたことは明らか。ナジル人の誓いには、(1)ワインと強い酒の断酒、(2)誓いの継続期間中に頭から髪の毛を切ることを禁じ、(3)死者との接触を避けるという3つのことが含まれていた。誓いの継続期間が終わると、 ナジル人は聖所の入り口に(1)最初の年の子羊を焼き尽くすために、(2)最初の年の雌羊を罪をささげるために、(3)平和への供え物をささげなければならなかった。これらの犠牲が祭司によってささげられた後、ナジル人はその髪を幕屋入口で切り落とし、和解の生贄の下にある火に投げ込んだ。
=注目地名=
地名①アシュケロン(19):英語Ashkelon;ヘブル語アケシュローン[不名誉の火]・・・ペリシテ人の五つの町の一つであった。